リハビリ現場に潜むマイクロアグレッション

リハビリ現場に潜むマイクロアグレッション

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足を踏んでいることに気づかない医療者へ

―リハビリ現場に潜むマイクロアグレッション―

マイクロアグレッションとは、日常の中で無意識に行われる、小さな差別や偏見を含んだ言動のことです。

言っている本人は、傷つけるつもりがないことがほとんどです。

1つ1つは小さいことでも、繰り返されることで、相手に少なからずダメージを与えます。

あるテレビで、マイクロアグレッションをこんなふうに例えていました。

「足を踏んだ側は気づかない。でも踏まれた側には痛みが残る。

しかも、それが何度も繰り返されると、その痛みは大きくなる」

とても分かりやすい例えだと思います。

そしてこれは、医療やリハビリの現場でも、決して他人事ではありません。

 

■ 善意で踏んでしまうという構造

医療者は基本的に、「良かれと思って」関わっています。

だからこそ、自分の言葉や関わりが誰かを傷つけている可能性には気づきにくい。

例えば、こんな場面です。

「頑張れば歩けますよ」

「まだいけます、大丈夫です」

励ましのつもりの言葉です。

でも、患者さんにとってはどうでしょうか。

すでに限界に近い状態であれば、

「今の自分では足りない」と言われたように感じるかもしれません。

一回だけなら、流せることもあります。

でも、それが続くとどうなるか。

「弱音を言ってはいけない」

そんな空気を感じてしまうことがあります。

 

■ “わかったつもり”が生む見落とし

臨床では、ある程度のパターン認識が必要です。

「高齢だからこうだろう」

「この疾患ならこういう反応をする」

それ自体は間違いではありません。

ただ、その瞬間に“その人を見ること”が止まってしまうことがあります。

本当は、

・今日はいつもと違う体調かもしれない

・言葉にできない意図があるかもしれない

そういった個別のサインがあるかもしれないのに、

ラベルによって見えなくなる。

そして患者さんは、こう感じることがあります。

「どうせ自分はそういう扱いをされる」

(↑上図は“高齢者“ “障害者“というラベル貼りの例)

 

■ 比較という名の小さな傷

「他の人はできていますよ」

「昨日はできたのに今日はどうしたの?」

よくある言葉です。

動機づけのつもりでも、比較は簡単に評価になります。

評価は、ときに人を動かします。

でも同時に、「できていない自分」を強く意識させます。

それが繰り返されると、

挑戦するよりも、失敗しないことを選ぶようになる。

これはリハビリにとって、かなり大きな損失です。

■ 説明がないということ

忙しい現場では、どうしても説明が簡略化されます。

「これやりますね」

「ちょっと動かします」

その一言で済ませてしまう。

でも患者さんからすると、

「何をされているのか分からない」

「自分の体なのに、自分が関われていない」

そんな置き去り感が残ることがあります。

 

■ 軽い一言が距離をつくる

場を和ませるつもりの言葉。

何気ない冗談。

でもそれが、

「男なんだから頑張って」

「もう年だからね」

こういう形で出たとき、その人の背景を一括りにするメッセージになります。

悪気はない。

でも確実に、距離は生まれます。

 

■ できることを奪っていないか

転倒予防や安全管理はとても重要です。

ただ、

「危ないからやめておきましょう」

「やっておきますね」

こうした関わりが続くと、本人が“やる機会”そのものが減っていきます。

その結果、

「どうせやらせてもらえない」という感覚が生まれてしまうこともあります。

 

■ 共感のつもりで、会話を終わらせていないか

「分かります、その気持ち」

一見、良い言葉です。

でもそのあとに続くものがなければ、それは“会話を閉じる言葉”にもなります。

本当は、

「どんなときにそう感じますか?」

「もう少し教えてもらえますか?」

そうやって広がるはずだった話が、そこで止まる。

患者さんは、

「分かってもらえなかった」と感じるかもしれません。

 

■ 大事なのは“正しさ”ではなく“届き方”

ここまで挙げたものは、どれも極端なものではありません。

むしろ、日常的にありふれているものです。

だからこそ厄介です。

マイクロアグレッションは、「正しいかどうか」では見えにくい。

でも、

「どう届いたか」には確実に現れます。

 

■ 足を踏んでいないかを確かめるということ

自分が足を踏んでいるかどうかは、自分では分かりにくい。

でも、

相手の反応が少し小さくなった

・話す量が減った

・どこか遠慮しているように見える

そういう変化は、ヒントになります。

■ おわりに

医療者は、誰かを傷つけようと思って関わっているわけではありません。

それでも、知らないうちに“踏んでしまう”ことがある。

そして、その痛みは相手の中に残り続ける。

だからこそ必要なのは、完璧さではなく、

「もしかしたら踏んでいるかもしれない」と立ち止まる姿勢だと思います。

それだけで、関係は少し変わるはずです。

 

 

 

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