バリアは「障害」にあるのではない

バリアは「障害」にあるのではない

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バリアは「障害」にあるのではない

今回、私は両耳の聴力を失いました。

正直に言えば、

「これから人と話すことも難しくなる。」

そう覚悟していました。

ところが、実際に入院してみると、意外なことに気づきました。

病院では、それほど困らないのです。

医療者は私を見ると、

自然にメモを持ってきます。

ある人はスマートフォンの文字起こしアプリを開きます。

私がお願いする前からです。

すると、不思議なくらい困らない。

「聞こえない」という事実は変わっていないのに、

コミュニケーションにはほとんど壁を感じません。

私が変わったのではありません。

周りの環境が変わっただけです。

ここで私は、

バリアフリーという言葉の意味を改めて考えました。

多くの人は、

障害があるから生活しにくい、

と思っています。

でも、本当にそうでしょうか。

私が困らなかった理由は、

耳が治ったからではありません。

周囲が、

「聞こえない人とはこうやって話そう。」

という環境を作ってくれていたからです。

つまり、

障害そのものが壁なのではなく、環境が壁になる。

そして、

環境は変えられるのです。

この話を思い出したとき、

以前読んだある漁村の話が頭に浮かびました。

そこでは、遺伝性の病気の影響で難聴の人が多く暮らしていました。

外から来た人は、

「こんなに聞こえない人が多くて大変だ。」

と思うかもしれません。

ところが、実際は逆でした。

漁師さんたちは海の上で、

手話や指文字を使って普通に会話をしています。

風が強く、

声が届きにくい海の上でも、

困ることなく仕事ができています。

そこでは、

手話が特別なものではありません。

みんなが使える、

当たり前の言葉なのです。

つまり、

障害者が環境に合わせているのではなく、

環境が人に合わせている。

だから、

そこにはバリアがありません。

私は今回、

病院で同じことを経験しました。

筆談が当たり前。

スマホで文字を見せることが当たり前。

だから、

「聞こえない」という事実があっても、

私は患者として安心して過ごせています。

バリアフリーというと、

スロープやエレベーターを思い浮かべる人が多いでしょう。

もちろん、それも大切です。

でも、本当のバリアフリーは、

相手に合わせようとする人の姿勢なのかもしれません。

紙とペンを一枚出すこと。

スマホを一台差し出すこと。

ほんの少し立ち止まって相手を見ること。

それだけで、

大きな壁は消えてしまいます。

私は難聴になって、

多くのものを失いました。

でも同時に、

障害とは、人だけの問題ではなく、環境との関係で生まれるものなのだということを身をもって学びました。

そして、

誰かが少しだけ環境を変えてくれるだけで、

障害は驚くほど小さくなることも知りました。

これこそが、

私が今回経験した、本当の意味でのバリアフリーなのだと思います。

 

「障害は個人の問題ではなく社会との関係で生まれる」

私は聞こえません。

でも、筆談をしてくれる人の前では、困ることはほとんどありません。

私は歩けない人ではありません。

階段しかなければ歩けない人になります。

スロープがあれば、自由に進めます。

障害は、人の中だけにあるものではありません。

障害は、環境との間に生まれるものです。

だからこそ、私たちは環境を変えることで、誰かの「できない」を「できる」に変えられるのだと思います。

 

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