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歳をとると、なぜ「同じ話」をしてしまうのか
若い頃、定年間近の上司たちを見て、こんなことを思っていました。
「また同じ話をしているな」と。
膝が痛い、血圧がどうだ、昨日の検査がどうだった――とか。

正直なところ、少し距離を置いて見ていた記憶があります。
でも、自分がその年齢に近づいてみると、見え方は大きく変わりました。
気づけば、自分も同じように身体のことを話している。
そして不思議なことに、それは「同じ話」ではないのです。
身体の変化は、すべて“初めての出来事”
年齢を重ねると、身体にはさまざまな変化が起こります。
少し痛みが長引くようになった。
疲れの抜け方が変わった。
以前は気にならなかった違和感に敏感になる。
外から見れば似たような話でも、本人の中では違います。
昨日と今日では、ほんの少しずつ状態が違う。
つまり、それは毎回「初めての経験」なのです。
人は初めての出来事に出会うと、それを誰かに話したくなります。
それは確認であり、整理であり、共有でもあります。
子どもが新しいことを覚えて嬉しそうに話すのと、どこか似ています。
違うのは、「増えていくのが可能性」か「変化」か、というだけです。
「同じ話」に見える理由
では、なぜそれが「また同じ話」に見えてしまうのでしょうか。
それは、聞き手の側からは“変化の細かさ”が見えにくいからです。
話のテーマは似ている。
使う言葉も大きくは変わらない。
だから「繰り返し」に感じる。
でも実際には、その人の中では微細な違いが積み重なっています。
「今日はここが違う」
「今回は少し怖かった」
「前より回復が遅い気がする」
そのニュアンスは、外からはなかなか見えません。

少しだけ、見え方が変わると
このことに気づいてから、人の話の聞き方が少し変わりました。
「また同じ話だ」と思う代わりに、
「今回はどこが違うんだろう」と考えるようになりました。
すると、不思議とその人の感じていることが立体的に見えてきます。
同じように見える言葉の中に、
その人なりの不安や発見や戸惑いが含まれていることに気づきます。
おわりに
歳をとると、病気の話が増える。
それは確かにそうかもしれません。
でもそれは、「同じことを繰り返している」のではなく、
「新しく起こる変化を、その都度ことばにしている」だけなのだと思います。
かつて少し冷ややかに見ていた光景も、
今では少し違って見えるようになりました。
そしてたぶん、自分もまた誰かにそう見られているのでしょう。
それでもいいと思います。
それは、ちゃんと自分の変化を感じていることなのだから。
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