「悪気はない」と言われても。— 行き場のない違和感の話

「悪気はない」と言われても。— 行き場のない違和感の話

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「悪気はない」と言われても。— 行き場のない違和感の話

 

職場で、こんな経験はないでしょうか。

「悪気はないのは分かる。でも、なんだか引っかかる」

そんな言葉に出会ったことが。

随分前の話になりますが、僕自身、1回目の脳の障害を患ったあと、なんとか職場復帰をすることができました。

ただ、言葉の障害が残っていたため、担当できる業務は限られていました。

主に任されていたのは、寝たきりの方の拘縮予防です。

もちろん、それは大切な仕事です。

自分の状態を考えれば、それが最善だったとも思います。(書いている今もそう思っています)

ただ、正直に言えば、どこか物足りなさもありました。

「もっと関わりたい」(患者さんに不利益がない範囲で)

「もう少し違うこともやりたい」(患者さんに不利益がない範囲で)

そんな気持ちが、心のどこかにありました。

あるとき、そのことを同僚にポロリとこぼしました。

すると返ってきたのは、こんな言葉でした。

「いいじゃない、楽で。私だったら、ずっとそれでいい。」

多分、その人に悪気はありません。

むしろ、私を気遣ってくれたのかもしれません。

でも、その言葉は、なぜか心に刺さりました。

強く傷ついた、というわけではありません。

でも、どこかモヤモヤする。

そして厄介なのは、「悪気がない」と分かっていることです。

もしこれが明らかな悪意だったら、

「それは違う」と言い返すこともできたでしょう。

でも、相手にそんなつもりがないと分かるからこそ、

その違和感の行き場がなくなってしまうのです。

考えてみると、このすれ違いには理由があります。

私は、そのとき

「今の状況、ちょっと悔しいんだよね」

という気持ちを共有したかったのだと思います。

でも返ってきたのは、

「それはむしろ良いことだよ」

という評価でした。

気持ちを共有したかった側と、

状況を評価した側。

このズレが、あのモヤモヤの正体だったのかもしれません。

 

 

医療の現場では、「正しいことを言う」場面が多くあります。

だからこそ、つい無意識に、相手の言葉を評価して返してしまうことがあります。

でも、すべての会話が「正しさ」を求めているわけではありません。

ときには、ただ

「そう感じているんですね」

と、そのまま受け取ってもらえるだけで救われることもあります。

 

 

「悪気はない」という言葉は、

ときにその場を丸く収めるために使われます。

でも、受け取る側にとっては、

その一言で感情の置き場を失ってしまうこともあります。

私たちはきっと、誰かを傷つけようとしているわけではありません。

それでも、知らないうちに、誰かの大事な気持ちをすくい損ねてしまうことがあります。

だからこそ、思います。

何かを言うとき、

「それが正しいかどうか」だけでなく、

「その人は今、何を受け取ってほしいのか」

に、少しだけ意識を向けられたらいいのかもしれません。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

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