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シリーズ 患者さんの言葉の本当の意味を考えていますか その18回
「こんな身体じゃ生きていても…」の本当の意味を考えていますか?
「こんな身体じゃ、生きていても……。」
リハビリをしていると、患者さんからこのような言葉を聞くことがあります。
脳卒中によって、手足が思うように動かなくなった人。
事故によって、歩くことが難しくなった人。
病気によって、仕事や家庭での役割を失った人。
その言葉を聞いたとき、私たちは戸惑います。
「そんなことを言わないでください。」
「まだ良くなる可能性がありますよ。」
「ご家族も待っていますよ。」
何とか励まそうとして、そんな言葉を返したくなることもあるでしょう。
もちろん、患者さんを支えたいという思いから出る言葉です。
でも、その前に一度立ち止まって考える必要があります。
患者さんは、この一言で何を伝えようとしているのでしょうか。

「死にたい」と決めつけることも、否定することもできない
「こんな身体じゃ生きていても……。」
この言葉は、必ずしも直ちに「死にたい」という意味だとは限りません。
その背景には、
「以前のように働けなくなった。」
「家族を支える側だったのに、支えられる側になった。」
「一人でトイレにも行けない。」
「好きだった旅行や散歩ができなくなった。」
「自分らしさを失ってしまった。」
そんな喪失感や悲しみがあることがあります。
患者さんが苦しんでいるのは、身体機能の低下だけではありません。
これまで築いてきた生活や役割、誇り、将来の見通しまで失ったように感じているのかもしれません。

しかし同時に、この言葉を、
「落ち込んでいるだけ。」
「本気ではない。」
と軽く扱うこともできません。
実際に死にたい気持ちや、自分を傷つけたい思いが含まれている可能性もあります。
だからこそ、意味を決めつけず、真剣に受け止める必要があります。
失われたのは「身体」だけではない
理学療法士は、患者さんの身体機能を評価します。
筋力。
関節可動域。
バランス。
歩行能力。
日常生活動作。
しかし患者さんが感じている喪失は、評価表の数字だけでは表せません。
歩けなくなったことで、
仕事を失ったのかもしれません。
家族と出かける楽しみを失ったのかもしれません。
誰かの世話をするという役割を失ったのかもしれません。
それまで当たり前に持っていた「自分で決める自由」を失ったのかもしれません。
「こんな身体じゃ生きていても……。」
という言葉は、
「この身体では、今までの自分として生きられない。」
という悲しみを表していることがあります。

すぐに励ますことが、助けになるとは限らない
患者さんが深い悲しみを口にしたとき、
「大丈夫です。」
「頑張れば歩けます。」
と励ましたくなります。
しかし、その言葉によって、
「この苦しさは理解してもらえない。」
と感じさせてしまうこともあります。
患者さんが求めているのは、すぐに前向きな答えをもらうことではなく、
「それほどつらかったのですね。」
と、苦しみを分かろうとしてもらうことかもしれません。
希望を伝えることは大切です。
でも、希望を急いで押しつける前に、失ったものを一緒に見つめる時間も必要なのだと思います。

セラピストならどう関わるか
この言葉を聞いたとき、私は話題を変えたり、聞かなかったことにしたりしないことが大切だと思います。
まずは、
「そう思うほど、今がつらいのですね。」
「どんなことが一番つらいですか?」
と、その気持ちを受け止めます。
そして必要であれば、ためらわずに直接確認します。
「死にたいと思うことがありますか?」
「自分を傷つけようと考えたことはありますか?」
こうした質問をすることで、患者さんに自殺を考えさせてしまうわけではありません。
むしろ、曖昧にせず確認することで、安全を守るために必要な支援につなげることができます。
死にたい気持ちや具体的な計画が疑われる場合は、理学療法士一人で抱え込まず、医師や看護師、心理職などに速やかに共有する必要があります。
患者さんから、
「誰にも言わないでください。」
と言われた場合も、命に関わる危険があるときは、秘密を守ることより安全を優先しなければなりません。
その際にも、できる限り本人に説明しながら、
「あなたを守るために、必要な人と一緒に考えさせてください。」
と伝えることが大切です。

リハビリで取り戻せるものを一緒に探す
患者さんが失った生活を、まったく同じ形で取り戻せないこともあります。
以前と同じ仕事に戻れない。
一人で歩くことが難しい。
趣味のやり方を変えなければならない。
そんな現実もあります。
だからこそ、
「元どおりになること。」
だけを目標にしてしまうと、患者さんは希望を持てなくなることがあります。
理学療法士にできるのは、
今の身体で何ができるのか。
どんな方法なら大切なことを続けられるのか。
どんな環境や支援があれば、その人らしい役割を取り戻せるのか。
それを一緒に探すことだと思います。

歩けなくても、家族と外に出られる方法があるかもしれません。
片手が動かなくても、好きな作業を続けられる工夫があるかもしれません。
以前と同じ生活ではなくても、もう一度「自分の生活」と思える形を探していく。
それもリハビリテーションの大切な役割です。
建前ではなく、本気でそう思っています。
おわりに
「こんな身体じゃ生きていても……。」
その言葉を、
単なる弱音として終わらせない。
反対に、
すぐに「死にたいという意味だ」と決めつけることもしない。
その人は何を失ったのでしょうか。
何が一番つらいのでしょうか。
そして、今どのような危険や助けを必要としているのでしょうか。
言葉の背景を丁寧に確かめながら、安全を守り、必要な支援につなげていく。
それが医療者に求められる関わりだと思います。
患者さんの言葉は、ゴールではありません。
その人の苦しみを知り、これからの生き方を一緒に考えるための入り口なのだと思います。

失った生活を悲しむことと、命を絶ちたいと思うことは同じではありません。
しかし、どちらかを医療者が勝手に決めることもできません。
だからこそ、目をそらさず、本人に確かめ、必要な人と一緒に支えることが大切なのだと思います。
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