『その治療にエビデンスはありますか?』〜エビデンスでは測れないもの

『その治療にエビデンスはありますか?』〜エビデンスでは測れないもの

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『その治療にエビデンスはありますか?』〜エビデンスでは測れないもの

若い頃、上司によく言われた言葉があります。

「その治療にエビデンスはありますか?」

一瞬ピリッとしますが、医療の世界においてこの問いはとても重要です。

リハビリテーションの分野でも、ガイドラインや研究に基づいた介入が求められます。

そして今の自分も、その考え自体は間違っていないと思っています。

けれど、臨床を重ねる中で、どうしても拭いきれない感覚があります。

「エビデンスだけでは説明できない良さがある」

そんな場面に、何度も出会ってきました。

 

同じことをしているのに、なぜ差が出るのか

同じ疾患、同じような機能レベル。

同じような運動療法を行っているはずなのに、

・あるセラピストが関わると、明らかに反応が良い
・別のセラピストでは、変化が乏しい

そんなことは珍しくありません。

手技が特別に違うわけでもない。

ガイドラインから逸脱しているわけでもない。

それでも結果に差が出る。

この現象は、エビデンスだけでは説明しきれません。

 

エビデンスは「土台」である

誤解を避けるために言えば、エビデンスは非常に重要です。

・安全性を担保する
・再現性のある方法を示す
・最低限外してはいけないラインを教えてくれる

エビデンスは「土台」、いわば「地図」のようなものです。

どこに向かえばよいのか、どの道が比較的安全なのかを示してくれる。

臨床において、この地図なしに進むのは危険です。

 

それでも“地図だけでは辿り着けない場所”がある

一方で、臨床は“現場”です。

そこには、

・その日の体調
・気分や不安
・これまでの生活歴
・価値観
・セラピストとの関係性

といった、数値化しにくい要素が存在します。

そして実際には、こうした要素が結果に大きく影響します。

例えば、

少しの声かけで表情が変わる人
信頼関係ができた途端に動きが変わる人
安心したことで力が抜ける人

こうした変化は、論文の中ではなかなか扱われません。

けれど、臨床では確かに存在しています。

 

経験は「武器」であり、「落とし穴」でもある

では、「経験こそが大事」と言い切ってよいのでしょうか。

私はそこにも慎重でありたいと思っています。

経験には確かに力があります。

しかし同時に、バイアスも含まれます。

・たまたまうまくいったケースを一般化してしまう
・印象的な成功体験に引っ張られる
・再現性が曖昧になる

だからこそ経験は、「正解」ではなく
「仮説」として扱う必要があると思います。

エビデンスと経験のあいだで

では、どう考えればよいのか。

私なりの整理はこうです。

まず、エビデンスで大きく外さない。

安全性と基本方針はそこに依る。

そのうえで、目の前の一人に合わせて調整する。

方法、強度、関わり方を変えていく。

そして、うまくいった経験は言葉にする。

なぜ良かったのか、自分なりに説明してみる。

さらに、それが他の人にも通用するのかを確かめる。

この繰り返しが、臨床の質を少しずつ高めていくのだと思います。

 

「人が関わることで変わる」ということ

「この人が関わると良くなる」

その現象の正体は、単なる技術差だけではありません。

・安心感を与える力
・その人のペースを尊重する姿勢
・主体性を引き出す関わり
・微細な変化に気づく感覚

こうしたものが重なって、結果に影響しているのだと思います。

これは曖昧なものではなく、リハビリテーションの本質に近い部分ではないでしょうか。

 

地図と歩き方

エビデンスは「地図」です。

経験は「歩き方」です。

地図だけでは現地で迷うことがある。

歩き方だけでは道を外れることがある。

だからこそ、その両方が必要です。

最後に

エビデンスだけでは割り切れない。

経験だけに頼るのも危うい。

そのあいだで悩み続けること自体が、臨床家としての大切な姿勢なのかもしれません。

明確な答えが出ないからこそ、私たちは考え続ける。

そしてその積み重ねが、目の前の一人を支える力になっていくのだと思います。

 

 

 

 

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