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「リハビリで治る」のか、「自然に治る」のか
― リハビリの効果と自然治癒をめぐって ―
リハビリの現場でよく耳にする言葉があります。
「俺が治した」「あの人は、リハで見違えるように良くなった」。

胸を張って語るその姿に、少し胸がざわつくことがあります。
そこで疑問。
本当に“治した”のは、私たちリハスタッフなのでしょうか?
それとも、患者さん自身の持つ「自然に治る力」なのでしょうか。
■脳が「勝手に治る」力
たとえば、脳梗塞。
脳の血管が詰まって神経が傷つく病気です。
リハビリの対象としても最もポピュラーな疾患のひとつでしょう。
脳がダメージを受けると、その周囲には「まだ死んでいないけれど機能が落ちた細胞」があります。
これをペナンブラと呼びます。
この部分は血流が回復すると、自然に働きを取り戻すことがあるのです。
つまり、「何もしなくても良くなる部分」が確かに存在します。
これが**自然治癒(自然回復)**の力です。
リハビリがなくても、一定の範囲で回復する——これは生物としての生命力の表れです。
■「自然治癒」と「リハビリ」の関係
では、リハビリは無意味なのか?
そうではありません。
むしろ、自然治癒の力を最大限に引き出す役割を持っています。
脳が損傷を受けると、しばらくの間「学び直す準備期間」が訪れます。
この時期、脳はまるでスポンジのように新しい刺激を吸収しやすい状態になります。
これを**神経可塑性(neuroplasticity)**と呼びます。
リハビリは、この可塑性の“波”に乗るように設計されています。
もし刺激がなければ、脳は何も学びません。
もし間違った刺激を与えれば、脳は“誤った運動”を学習してしまいます。
リハビリは、この“学び直しの舵取り役”なのです。
つまり、「治す」のではなく「治る流れを導く」行為と言えるでしょう。

■リハビリがしていること
リハスタッフがしているのは、実は非常に地味な仕事です。
- 間違った使い方を防ぐ(悪い代償運動を抑える)
- 適切な刺激を与えて、正しい動きを再学習させる
- 廃用を防ぎ、筋肉や関節を守る
- モチベーションや環境を整えて、継続を支える
つまり、リハビリは「手を添える仕事」であり、「方向を示す仕事」なのです。
患者さんが持つ自然回復のエネルギーを、間違った方向へ浪費しないように導く。
それが私たちの仕事の本質です。
■「俺が治した」は間違いではない、けれど…
「俺が治した」という言葉は、情熱の裏返しでもあります。
患者さんの努力を間近で見て、その変化に立ち会う感動。
それを「自分が治した」と言いたくなる気持ちは、なんとなく分かります。
けれど科学的に見れば、それは違います。
リハスタッフが治すのではなく、患者自身が治る。
私たちは、そのプロセスに寄り添うナビゲーターです。
そして時に、「何もしない」ことも大切です。
休ませる、無理をさせない、見守る。
それも立派なリハビリのひとつです。
■最近の脳科学が教えてくれること
最近の脳科学では、リハビリを単なる筋トレや動作練習とは見ません。
脳が「学び直すための環境づくり」として位置づけられています。
脳が変わるには、次のような条件が必要です。
- 繰り返しの練習(反復)
- 意味のある課題(task-specific)
- 適切なフィードバック
- 注意とモチベーションが高い状態
つまり、リハビリとは脳に「学習の場」を与えること。
そしてその学習が起こるのは、本人が自分の身体と向き合ったときなのです。
■結論:リハビリは「治す技術」ではなく「治る力を引き出す技術」
自然治癒がなければ、どんなリハビリも空回りします。
一方で、リハビリがなければ、自然治癒は途中で止まってしまうかもしれません。
両者は競い合う関係ではなく、協調する関係です。
リハビリは「治す魔法」ではなく、「治る力を支えるデザイン」なのです。
「俺が治した」ではなく、「一緒に治っていった」
その言葉のほうが、ずっと誇らしいと思います。
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