僕が理学療法士を目指したわけ

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大学を卒業して、少しの間お金を貯めて、僕は2年間インドで過ごしていました。

カルカッタ(現コルカタ)マザーテレサの施設で、ボランティアをしていたのです。

(詳しくは→こちらまたはこちら

 

その施設での仕事は、掃除、洗濯の雑用が主で、いわば誰でもできる仕事でした。

もちろんそうしたことを心を込めて行うことに意味があると思って行っていましたが、

しばらく働いていると、

もう少し踏み込んで仕事をしたいという気持ちが少しずつ湧き始めました。

 

ボランティアは世界中から集まってきます。

マザーテレサという知名度から医療関係者の来院も多く、

医師を始め看護師、薬剤師など多種多様な人が入れ替わり立ち替わりやってきました。

彼らはそれぞれ専門家の立場から、特別な関わりを行なっていて、

そんな活動を見るにつけ、

僕はどういった関わりが持てるのだろう…と漠然と考える毎日でした。

 

  (内容には関係のない写真ですが、当時のカルカッタの雰囲気が伝わればと‥)

 

そんな中、ある中年の女性が患者さんの手足を優しくマッサージしている姿を見る機会がありました。

僕のようなにわかマッサージではないのは一目瞭然です。

優しい手つきながらも、しっかりと関節を伸ばしたりしていました。

ちょっと気になったため、お茶の時間に話かけてみたら、

彼女はスウェーデンから来た理学療法士とのことでした。

僕が始めて会った理学療法士です。

思うところがあって、インド旅行の最終日に立ち寄ったそうです。

 

僕が興味を持っていることを伝えると、患者さんのところに一緒に行ってくれて、

手取り足取り訓練の方法を教えてくれました。

「この人はこういうところが硬くて障害になっているから、ここを毎日伸ばしてあげるといいわ。」

「あなたはもうしばらくここに滞在するのであれば、あなたができることをしてあげてください。」

 

その日から僕も彼女の手つきをまねて、

リハビリもどきをやり始めました。

その介入自体に効果があったのか無かったかはわかりませんが、

患者さんに触れ合いながら、身体を動かすことで、

わずかながらも変化の兆しを見ることができました。

   (これも内容に関係ない写真。懐かしな~)

 

一旦始めると、どんどん興味が湧いてきます。

日本からリハビリの本を送ってもらい、本を読んでは真似てみたりを繰り返しました。

ですが、なにぶん基礎がない、人間の体の構造さえ分かっていないのですから、

それはあやふやなものだったと思います。

後で振り返っても、自己満足の押し付けだったかと反省しきりです。

   (これもない内容に関係のない写真)

 

そんな中、カルカッタでも理学療法士になれる学校があると言う話を聞く機会があり、

これはと思い訪ねることにしました。

Indian Insitute of Cerebral Palsy for hadicapedという脳性麻痺の施設です。

何のアポイントもなくいきなり訪ねた、どこの馬の骨ともわからない日本人を快く受け入れてくれました。

そこはキレイな施設で、日本の施設とも大きく変わらないように見えました。

利用している障害者の方々は車椅子に乗っていて、その姿に逆にびっくりしました。

インドに来てから、地べたに這いつくばるようにして生活している障害者の方々をたくさん見ていたので、

そうした本来当たり前である姿に、逆に衝撃を受けたのです。

 

結局何日かその施設に通うことができ、

理学療法士になる道筋を教えてもらうことができました。

一つはカルカッタにとどまり学校に入って学ぶこと、

もう一つは日本に帰ってライセンスを取得して、またインドに戻ってくること。

カルカッタで学ぶ道にも心惹かれました。

やはり学費が安いことがメリットでした。

ですが外国人が数少ない定員を埋めることに対する罪悪感もありましたし、

税金を外国人のために使うのにも抵抗がありました。

また日本の学校は母国語で学ぶメリットもありましたし、

国家資格を取得できることに魅力を感じ、日本に帰る決心をしました。

 

僕は2年に渡るボランティアを終えて、日本に帰りました。

学費の安い老舗の学校を2つ受けて、そのうち1校から合格通知をもらいました。

当時28歳にもなっていて、おじさん学生の誕生です。

 

学生時代の話は、機会があれば書きたいと思います。

苦痛の4年間でしたが、今思えば充実していました。

まぁ、他の人から見れば全然面白くない内容ですけどね。

 

お付き合いありがとうございました。

 

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