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突発性難聴を患った話。
治療を続けていても状態は改善せず。
ある時医師から宣告がありました。
「多分もう耳は聞こえません。」
その時はショックを受けましたが、
反面何故かホッとした気持ちも湧き上がってきました。
「もうこれで、悩まなくていい。次に進める」
治る、治らないと悶々と葛藤を続けていて、
どこかで折り合いをつけなければならないと分かっていたものの、
なかなか次のステップに踏み込んでいけませんでしたから。
「これからはもう頑張らなくていい」と言われて、
ホッとしたのだと思います。
その日から、耳が聞こえないことに拘らないようにと
自分に言い聞かせるようにしました。
幸い、片耳は聞こえるので、最低限の仕事はできます。
なんとか折り合いをつければ働けないわけではありません。
「良かった。かたちは以前と変わらないように見えるかな」
でも続けていくうち、やっぱり欲というものが頭を持ち上げてきます。
ついこの間まで、働けることだけで十分だったのに、
慣れてくると今の状態に不満がつのってきます。
そうすると
「耳が聞こえていたらこんなに苦労することないのに」とか
「めまいがなければ、もう少しちゃんと仕事ができるのに」
という言い訳めいた気持ちが湧き上がってくるのです。
「働けることへの感謝の気持ちは何処へやら」です。
情けないですが、一つのことができると、
もう少しという気持ちとなり、
そこで再び壁にぶち当たると落ち込むのです。
「分相応」という言葉は好きではないですが、
あえて今の自分には必要な言葉なのかもしれません。
「分相応」に仕事をします。
ありがとうございました。
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