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以下は、僕が臨床に携わっていた時に書き記したものです。ただの雑感です。
僕が歳を重ねるにつれて、リハビリを担当する患者さんにも自分と同世代の方々が増えてきました。
もちろんリハビリ中におしゃべりばかりしているわけではないけれど、
「昔こんなことありましたよね」とか、「こんなことで苦労してましたよね。」とか、
その頃の共通体験を分かち合うことで関係が近くなることがあります。
たとえば僕が子供の頃は洗濯機はもちろんなかったので、洗濯板を使ってタライで洗濯をしていました。(歳がわかりますね)
もちろん自家用車も持っていませんでした。
初めて車が家に来た時の話は、大概盛り上がりました。
テレビも同様です。
流石に街頭テレビの時代ではありませんが、友達の中でもテレビが無い家は結構ありました。
結構な値段でしたから、簡単に購入できないシロモノでした。
世代が異なる患者と上手に関係を持つには「その違いを理解しながら、共有する感覚をもつ」また、「同年代でなくても、同じ時代を生きているので、話題を共有すること」はできます。
娯楽もテレビが主であったから、大人も子供も同じ番組を観ていたのではないでしょうか。
流行っている歌、人気のある歌手も世代を超えていました。
例えば演歌歌手もベストテン番組に、普通に出てましたよね。(子供も北国の春なんかを歌っていました)
これに比べて、今の若い人たちは、どうなんでしょう。
あまりに多様化が進んだが故に、共通するもの、体験って案外少ないかもしれないと、ふと思ったのでした。
テレビだって車だって,生まれた時に当然のようにあったでしょうし、そのような劇的な経験を共通にしたことはないでしょう。
テレビは各部屋に1つあることも当たり前だし、ネットもあるので、一緒に同じ番組を観る機会もありません。
大人が観る番組を、子供もイヤイヤ付き合うこともないでしょう。
そういう意味では感覚の断絶は、より深い気がします。
でも逆に、別の考えも浮かびます。
YouTubeをはじめ、ネットの出現で時代の壁が無くなりフラットになったとも言えます。
何十年前に流行った歌も、若い人にとっては今の歌と同等の扱いになります。
若い人たちが「中森明菜は良いね」と言っているのを聞いて、不思議な気持ちになったりもします。
彼らにとって過去の人ではないんですね。
今日の話は、だからどうするという話ではないのですが、違いを理解した上で、コミュニケーションの溝を埋めていきたいと考えています。
こんな前提をふえまて、関係を深めていきたいと思います。
雑談にお付き合いいただきまして、ありがとうございました。
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