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理学療法士として20年以上経ちます。
リハビリでは疾患を対象としているわけではなく、障害を対象とするため、
仕事の中で「障害とは一体何なのか」ということを考えることがあります。
事故や病気で歩行などの生活動作が困難になって、リハビリにいらっしゃる方の場合、
それが一時的なものであれ、不可逆的なものであれ、「障害」を持っていると言うことになります。
例えば脊髄損傷で歩行が困難になり車椅子を利用している方は、一般に「障害者」と認識されます。(制度的な障害者認定とは別なので注意)
今の日本の環境では、車椅子利用者は障害を感じる場面が多いと思います。
道路は平らではないし、歩道もデコボコ、どこに行くにしても全く段差が無いってことは考えられません。
車椅子では、健常者と同様の活動範囲を確保することは難しいでしょう。
しかしもし仮に、仮にですがバリアフリーの環境になれば、ハンディキャプを感じることもなくなり、健常者と同様に動くことができます。
この場合、日常生活を送る上での両者の差はなくなり、まさに障害はないと言えることになるでしょう。(実際はそんな単純な話ではありませんが。)
これからこのような様々なケースを例に挙げて、「障害」にについて考えてみたいと思います。
それを考えることで、これから私たちが進むべき道が見えて見えてくるような気がします。
例1.マーサズ・ヴィンヤード島の話
アメリカ、マサチューセッツ州沖に、マーサズ・ヴィンヤード島という、外界から隔絶された島があります。
この島には遺伝性の聴覚障害者が多く住んでいます。
そのような状況は300年以上の昔からだそうで、その島のコミュニケーション手段として会話の他に、手話が使われていました。
聴覚障害者だけでなく、健聴者も同様に手話を使っていました。
というのも、漁業が島の主産業であったため、
声がきこえづらい海の上でも簡単にコミュニケーションができる手話が共通言語になったと思われます。
その島では聴覚に障害があっても障害にならないんですね
例2.島根県益田市東高校野球部の話
僕が昔住んでいたところの近くにある高校の話です。
何年か前、その高校の野球部はあることで有名になっていました。
先天性の難聴で耳が聞こえない広中蒼磨さんが、野球部のエースとなっていたからです。
彼が入学した当初、部員たちは彼にどう接したらいいか戸惑っていたということです。
想像はつきますね。
驚いたのは、まず1年生部員が50音を表す指文字を使い始め、その後2ヶ月ほどで80人の部員全員が指文字を習得したというのです。
それからは、試合中の伝令も指文字でやり取りされたということです。
彼の持っていた障害は、野球を行う上では全く障害になりませんでした。
彼が卒業した今は、どーなっているのかはわかりませんが。
例3.ダイアローグ・イン・ザ・ダークでの体験
今から20年くらい前に、ダイアローグ・イン・ザ・ダークというイベントが開催されていました。
確か最近まで続いていたと思います。
簡単に説明すると、何も見えない密室の暗闇の中で、聴覚や触覚など視覚以外の感覚を総動員させてさまざまな体験をするというものです。
参加者はその体験を通じて、視覚以外の感覚を使うことの楽しさを発見をしたり、
また普段いかに視覚に頼って生活してるかを再認識したりします。
そこでは視覚障害者がスタッフとなって、暗闇の中で参加者を案内・誘導してくれるのですが、
視覚障害者の世界の一端を体験することで相互理解を促すような目的もあります。
健常者は今まで体験したことのない暗闇の中でまごまごして動けなくなる人もいます。
まさにそこでは健常者が障害者になり、視覚障害者が健常者になるという立場の変換が生じていました。
障害は社会の環境や人間関係の中で決まる
以上の3つの例からわかることは、障害は個人の属性ではないということです。
私たちは自分が慣れ親しんでいる社会を基準にしてものごとを判断しています。
よって障害を個人の属性と考えてしまう。
ある意味私たちの心が障害を生み出してしまっていると言えます。
「障害」というものは社会の環境や人間関係の中で生まれてくるものであって、固定的なものではありません。
よって社会を変えることで、障害を軽減する、無くすことも可能となるのです。
もちろん一朝一夕でできるものではありません。
偏見は私たちの骨の髄まで染み込んでいるものだからです。
でも反面、環境を整えると、「あれ? 意外にいいかも」と一気に意識改革が進むかもしれません。
障害者が生きやすい世の中は、結局は健常者も生きやすいからです。
次回に続きます。
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