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僕がまだ20代の頃の話です。
パキスタン人と一緒に住んでいたことは書きましたが、(→こちら)
そこを出た後に、外国人と日本人が一緒に暮らすというゲストハウスに移り住みました。
今回はその時のことを少し書いてみたいと思います。
ゲストハウス「ビック・アップル」
場所は小金井市のビックアップルというゲストハウス。
バックパッカーや日本に来て間もない外国人、また外国に興味のある若者向けの安宿でした。
海外にはゲストハウス、バックパッカーの常宿と言われているものがありますが、
そのころは東京にも多くはありませんでした。(今は状況は変わりましたね)
ビックアップルゲストハウスは、古い社員寮をリノベーションした建物で、かなりガタがきていました。
個室とドミトリーと言われる大部屋あり、
ドミトリーの二段ベッドの値段は一泊1000円くらいからだったと思います。
僕はこのベッドの下段に陣取っていました。
1ヶ月3万くらいだったので、安さも魅力でした。
ちなみに個室は5万円くらいだったと思います。
風呂は共同シャワーのみ。
キッチンとラウンジも共用でした。
ビックアップルの住人
外国人はワーキングホリデービザで来たオーストラリア人が多くいました。
彼らは一時的にゲストハウス暮らしをして、英会話講師などの仕事を見つけて、
落ち着いたら別なところに引っ越すというパターンが多かったように思います。
またアメリカやアフリカ、フランス人も何人かいました。
1990年後半からは、IT業界のインド人も増えてきました。
半数は日本人でしたが、そのバックグラウンドは様々でした。。
日本にいながら海外留学気分を味わいたいという大学生がいたと思えば、
50歳くらいで外国人女性を毎日流暢な英語で口説いているおじさんもいました。
また、僕を含めバックパッカー崩れもある一定数いました。
海外を渡り歩いて、お金が尽きると日本に戻ってきて
日雇いやアルバイトで稼ぎ、再び旅に戻るという人たちです。
彼らにとって、アパートを借りるのは重いし、
借りるための敷金もそもそも無いのです。
バックパッカー同士でまだ見ぬ新しい土地に思いを馳せて、語り合えるのも、
ゲストハウスの魅力でした。
僕はこのゲストハウスで、アフリカ人から料理を習ったり、
言葉を教えてもらったりしました。
彼から習った魚のフライにトマトソースをかけた料理は今でも僕の得意料理の一つです。
バイトや学校で疲れていても、常にラウンジに明かりがついていて、誰かがいるというのはいいものでした。
僕は一応バックパッカーから足を洗ったはずでしたが、
それでも何かしらの形で旅に紐づいていたいという気持ちもありました。
そのころの僕は日本の生活に馴染めないこともあり、
学校では、「ここは僕のいる場所では無い」という思いを抱き、
ゲストハウスにいる時は、自分と同じような夢を見ている友人と話すことで
不安定なココロのバランスを何とか保っていたのだと思います。
僕はその後、学校の授業が忙しくなり、ラウンジに顔を出す頻度も少なくなっていきました。
ドミトリーのベッドサイドでは、教科書を置く場所も無くなってきたため、近くにアパートを借りることにしました。
それでも、事あるごとに、ゲストハウスのあのラウンジに顔を出していました。
外国と少しでも繋がっていたかったんだと思います。
しかし時間が経過するに従って、友人たちも徐々にビックアップルを去って行き、
僕も少しずつ足が遠のいて行きました。
懐かしい思い出です。
今はどーなっているのか
ネットで調べてもはっきりしたことはわかりません。
一時簡易宿泊所になりそこに留まっていた方が無理心中をしたとか、
そんな記事も載っていました。
現在どーなっているのか、一度訪ねてみたいです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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