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ツイッターを見ていたら、精神科医の香山リカ先生のツイートが流れてきました。
香山さんご自身をフォローしているわけではないですが、
僕がフォローしている人を経由して、拝見する機会が何度もあります。
いつも理知に富んでいて、弱者に対する目線が優しいので、
共感することが多いんですよね。
今回、面白いものがあったのでご紹介しますね。
以下、引用です。
診察室にいると、私よりずっと才能もあり努力家なのに、ちょっとした不運から病や貧困に苦しむ人に毎週出会う。私が医者の席、その人が患者の席にいるのはたまたまだ。それ思うと「私は頑張ったからうまく行ってる」とか「あいつが貧しいのは自己責任」なんてとても言えないよ。一寸先は闇なんだよ。
(香山リカさんのツイッターより。)
これとは少し違いますが、
僕も「たまたま、何とかやってこれている」という思いをずっと抱いてきました。
以前にも書きましたが、僕はフラフラしていた時期があり、
何になりたいか分からず、長い旅を繰り返していました。
たまたま理学療法士という職業に出会う機会があり、
たまたま学校に入れたから、この場所に居ることができるけど、
そのまま旅を繰り返した末に、
社会に適合することも出来なかったかもしれないと思うと、背中が寒くなります。
今もギリギリ働けていますが、
障害を負ってしまったこともあり、いつ仕事を失うかわかりません。
年間1万人の理学療法士が誕生し、
そのほとんどが僕よりも優秀で、僕よりも低賃金で働けるのです。
そうした現状の中で、いつまでこのポジションにいることができるか不安になるのです。
そして僕は、たまたま病院で訓練する側にいるけれど、
いつ患者になって訓練を受ける側になるかもしれません。
これも「たまたま」です。
いつ僕がその境界線を越え患者になるかもと考えると、
普段の診療でも、迂闊なことは言えません。
誰でも歳をとるし、障害者になるのです。
非難した言葉が自分に返ってくることも十分にあるのです。
「こうなったのは自己責任」なんてことは絶対に言えません。
以前、長谷川豊という人が
「自堕落な透析患者には自己責任だから、医療費を払うべきではない。」
いう趣旨のことを言いました。
かなり批判を浴びて、炎上しました(当然だと思います)。
その主張自体は以前から言ってる人もいて珍しくもないですが、
最近は賛同する人も少なからずいて、
簡単にバカらしいと切り捨てることができなくなっています。
バカらしい意見には、キチンと反論することが必要なのでしょう。
人は運、不運により思いもよらぬ運命をたどることがあります。
そうした時に、それを自己責任と言わず、
社会全体で助け合える世界が必要なのです。
今回は少し政治的色合いのある話題で、必ずしも賛同できない方もいるかと思いますが、
お付き合いいただいて、ありがとうございました。
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