理学療法士が突発性難聴になって考えたこと(体験談)その2

〈スポンサーリンク〉



前回は、突発性難聴を発症して1回目の入院そして退院、仕事復帰までを、簡単に記しました。(→こちら

今回は仕事復帰した後に、再度起こったことについて書こうかと思います。

同じ病気になった方の参考になればと思っています。

 

2015年5月18日は、かなり疲れていました。

新患を3名受け持つことになった上、

夕方にざわついた環境の中での研修会に参加し、心身ともにぐったりしていました。

帰宅してから、右耳の聴力の異変に気がついたものの、

疲れていたこともあって、そのまま眠りについてしまいました。

 

そして5月19日。朝になりました。

テレビをつけても、いつもより音が小さく聞こえました。

右耳に閉塞感があったので、右耳を触ったり、叩いてみたのですが、

うんともすんともいいません

左耳を塞ぐと、音が全く聞こえず静寂の世界です。

ぞっとしました。

 

「右耳は全く聞こえない」

 

幸いめまいはそれほどなかったので、急いで耳鼻科を受診。

聴力検査を行いました。結果はグレイド4で、

まったく音を聴き取れない重症だと聞かされました。

そのまま、即入院となりました。

そして、午後からステロイドの大量投与が開始されました。

 

5月21日から、HBO(高気圧酸素療法)が始まりました。

高気圧酸素療法とは、酸素のカプセルに入り、

高気圧酸素を集中的に投与するというものです。

突発性難聴では外リンパの酸素分圧が低下するため、

内耳の細胞が修復不可能な状態になる前に、酸素を供給しようという療法です。

また、虚血再灌流障害や浮腫の軽減にもつながるとされています。

医師からは、「エビデンスは決して高くないけどやってみる?」と問われました。

もちろん即答です。

とりあえずやれることはやらないと、後で後悔すると思ったからです。

HBOは、検査科にある酸素のカプセルで行われました。

2気圧の中で約1時間の治療です。

2気圧といえば潜水10m程度でしょうか。

潜水の経験もない僕は、耳抜き作業に不安がありましたが、

技師さんの誘導で難なく行うことができました。

しかし、やった後も大きな変化はなし。

大きな期待はしていませんでしたが、変わらないことは、少しショックでした。

 

5月22日。2回目のHBO。

今日からステロイドの点滴に併用して、プロスタグランディン(PGE1)が開始となりました。

突発性難聴の原因が血管の障害からくるのではないかとの推測から、

血管の透過性亢進や抹消循環改善作用を期待しての治療法です。

この日、聴力検査を再度行いましたが、耳の聞こえは変わらず、ゼロの状態でした。

 

5月25日。HBO3回目。

症状は変わらず。聴力にも変化なくスケールアウトの状態でした。

骨伝導の検査でも全く聴こえることはありませんでした。

医師からは、今後のことについて初めて厳しい話がありました。

この段階で聴力がゼロであれば、回復は難しいだろうこと、

他に治療法はあるが、エビデンスレベルは低いこと、

成人になって聴力を失うことについての不具合についても説明を受けました。

とりあえずこの病院で可能なことは行いたいと伝え、

後2回HBO(全5回)を行い、5月28日に退院となりました。

難聴のほかにめまいもあったため、不安でしたが、

受け入れるほかはありませんでした。

〈スポンサーリンク〉



 

片耳は聞こえないものの、もう一方は聞こえたため、何とか仕事には復帰しました。

体調も万全ではなかったため、無理をしないようにとの配慮で、

仕事は時短で開始となりました。

実際復帰してみた感想は、「想像以上に大変」でした。

 

まず、看護師さんとのコミュニケーションが困難

騒々しいステーション内での会話は、ほとんど聞き取れませんでした。

幸い僕が耳を患ったことを知っている看護師さんもいたので、助けてはもらえましたが、

知らない看護師さんに毎回伝えるのは、精神的にもしんどいことでした。

体温計の音はもちろん聞こえませんし、小さい音は聞こえません

一度酸素投与している患者さんのチューブがボンベから外れていたことに気づかず、

看護師さんから指摘されたこともありました。

通常なら「シュー」っていう音に気がつくはずなのですが、

僕の耳では聞き取ることができませんでした。

音の方向が全くわからないことも、大変でした。

アラームが鳴っていても、どこで鳴っているか分かりません。

病室で患者さんから声をかけられても、カーテンが閉まっていれば、

どこから呼ばれているのが全く分からないのです。

会議などでも、発言者が誰か全くわからないことにも苦労させられました。

(それ以前に会議の内容も聞き取れませんでしたが‥。)

その後、治療は外来で継続されました。

 

6月3日。外来治療1回目。

入院時に聞いていた、ステロイド剤の鼓室内投与という治療が開始されました。

鼓膜に小さな穴を開けて、注射針でステロイド剤を鼓室内に入れるというものです。

鼓膜に穴を開けるということには抵抗はありましたが、

どっちみち耳は聞こえないので、いまさら鼓膜を心配する必要もないということで

踏み切りました。

実際穴を開けるときの痛みも強かったですが、

ステロイドを注入している最中は、あまりの痛みに気が遠のく感じがしました。

注入後は、患側を上向きで顎を上げた姿勢を30分間保持しました。

その間なるべく嚥下しないようにと言われ、それもちょっと大変でした。

 

6月10日。外来治療2回目。

ステロイド剤の鼓室投与の2回目でしたが、

前回あまりに痛かったので、今回は麻酔を使ってもらいました。

痛みや不快感は少なく、これなら続けれるかなという感じでした。

ですが、聴力の方は変わらずでした。

 

その後、6月17日に3回目、6月24日に4回目の治療を行いました。

やはり右耳はうんともすんとも言いません。

「やはりもう治らないものなんだろうか‥」

何となくわかってはいたものの、

このころには実感として理解ができるようになっていました。

でもすんなり受け入れることは難しく、受け入れには相当な時間が必要でした。

 

いまでも、右耳は全く聴こえません。めまいは時々起こります。

会議では聞き取れないため、ICレコーダーを忍ばせて対応しています。

仕事は相変わらず大変なことは多いです。

〈スポンサーリンク〉



長々と書いてしまいました。

このように自分の体験を振り返って思うのは、

もう少し休めばよかったということです。

突発性難聴は原因がわからないし、再発は稀と聞いていたので、

症状が変わらないのなら働きたいと、仕事復帰に焦りました。

今思うと、後悔です。

やっぱりもう少し休んだ方がよかったような気がします。

仕事は好きだったので、仕事自体をストレスに感じたことはなかったのですが、

やはり身体は悲鳴を上げていたのかもしれません。

今でも睡眠を十分にとらないと、めまいが出現する割合は高いことは実感します。

身体をいたわることが大切だと思います。

 

長い記事を読んでいただいて感謝です。

 

機会があれば、「難聴あるある」なんぞを書きたいと思います。

耳が悪い人でないとわからないことを共有したいと考えています。

ではまた。

 

少しでも参考になりましたら、ポチっとお願いします↓


オリジナルイラストランキング

〈スポンサーリンク〉