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「感動ポルノ」と医療現場で感じるリアリティ
子どもの頃、私は日本テレビの「24時間テレビ」を毎年のように観ていました。
障害を持つ人が懸命に生きる姿に素直に感動し、「自分もこうした人たちを支える仕事に関わりたい」と思ったのをよく覚えています。
しかし、実際に医療職に就き、日々患者さんと接する中で気づいたのは、テレビで描かれるような「理想化された障害者像」と、目の前にいる“生身の人間”とのギャップでした。
障害を持っているからといって、誰もが聖人君子であるわけではありません。
人によって性格も違えば、悩みや弱さもあり、時には愚痴をこぼすことだってある。
要するに、障害があってもなくても、当たり前に「人間」なのです。
◼️ 「感動ポルノ」とは何か
近年、「感動ポルノ(inspiration porn)」という言葉を耳にする機会が増えました。
これは、オーストラリアの障害者権利活動家ステラ・ヤングさんが提唱した概念で、障害者を「健気に生きる姿」で消費し、健常者が一方的に感動するための題材にしてしまうことを指します。
一見ポジティブに見える描写でも、当事者にとっては「実際の自分とは違う」「勝手に理想化されている」という息苦しさにつながります。
つまり「障害者=感動を与える存在」という構図自体が差別的である、という問題提起です。

◼️ メディアと現実との乖離
「24時間テレビ」を改めて観ると、障害を持つ人を“立派な存在”にはめ込み、涙を誘う物語を作ろうとしているように見えることがあります。
子どもの頃にはそれを純粋に受け取っていましたが、医療者として働く今は「なんじゃこりゃ」と違和感を覚えるようになりました。
その一方で、以前に読んだ渡辺一史さんの著書『こんな夜更けにバナナかよ』は現実に近い印象を受けました。
主人公は決して「模範的な障害者」ではなく、わがままを言うこともあるし、時には人を振り回すこともある。
けれどそこにこそ、彼の「人間らしさ」があります。
当事者を理想化せず、一人の生活者として描いている点がとてもリアルだと感じました。
「いるいる、こんな人」って。

◼️ 医療現場から感じること
医療職として働く中で強く思うのは、「障害を持つ人も持たない人も、同じように“人間らしさ”を持っている」ということです。
感動的な瞬間もあれば、うまくいかない現実や葛藤もある。
それをまるごと受け止めることが、本当の意味での支援につながります。
障害を持つ人を「感動をくれる存在」として一方的に消費するのではなく、その人の笑いも弱さも含めた「日常」に寄り添うこと。
それこそが、医療職として私が大切にしたい姿勢です。
◼️ 最後に
あなたが障害を持つ人と接するとき、無意識に“感動の物語”を期待していませんか?
もしそうであれば、一度立ち止まって、その人を「特別な存在」ではなく「隣にいる一人の人間」として見つめ直してみることが大切だと思います。
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