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失語症教材で感じた違和感
僕は脳の障害を患ってから、失語症のリハビリ訓練を行っていました。
発症当時に行ったリハビリの中で、名詞と動詞を結びつける訓練というものがありました。
名詞と動詞を組み合わせる訓練は、失語症のリハビリにおいてよく用いられる言語訓練の一つです。
この訓練では、患者が単語を正しく想起し、文として構成できるようにすることを目的としています。
名詞と動詞のマッチング。
例えば「犬」と「歩く」、「リンゴ」と「食べる」など、関連のある名詞(主語)と動詞(述語)を組み合わせる。
また、「○○が△△する」のように、主語と述語を組み合わせて意味が通じる短文を作ります。
そんな訓練の中で、ちょっと違和感がある課題がありました。
主語(名詞)が、並んでいます。
・女の子が
・ジュースを
・男の子が
・海で魚を
・お母さんが
・食器を
・お父さんが
そしてそれに続くとされる述語(動詞)が並んでいます。
・釣る
・会社に行く
・人形で遊ぶ
・洗う
・飲む
・料理をする
・野球をする
これらの主語と述語を結びつけます。
「ジュースをー飲む」「食器を-洗う」は誰が見ても正解でしょう。
しかし
「女の子がー人形で遊ぶ」
「男の子がー野球をする」
が多分正解なのでしょうけど、少し違和感を感じませんか。
昨今、女の子が野球をするのは稀なことではありません。
男の子だって人形で遊ぶことがあるでしょう。
「お父さんがー会社に行く」
「お母さんがー料理をする」
にも違和感があります。
それこそ、ジェンダーのバイアスがかかった課題だとは思いませんか?
無意識のうちに性別に対するジェンダーバイアスが醸造
「女の子は人形で遊ぶ」「男の子は野球をする」といった表現には、無意識のうちに性別に対する固定観念(ジェンダーステレオタイプ)が含まれており、それが日常の中で再生産されていくことがあります。
とくにリハビリや教育の現場で使われる教材や課題にそうした表現があると、それが「当たり前」として刷り込まれやすくなるという問題があります。
失語症のリハビリ課題に出てきた、という点も非常に示唆的です。
こうした教材は、患者さんの語彙や構文の回復を助ける目的で作られているはずですが、同時に「どんな世界観を前提としているか」も含まれてしまうため、そこに無自覚な偏りがあると、言語以外の価値観も影響を受けることがあります。
たとえば、「お母さんが会社に行く」「お父さんが料理をする」など、性別にとらわれない例文を使うことで、多様な生き方や考え方に自然と触れることができるようになります。
些細に見えて、実は大きな意味を持つことなのです。
怒る必要まではないかもしれませんが、「ん?」と違和感をもつこと、そしてそれを言葉にすることがとても重要だと思います。
そういう声があって初めて、教材や社会のあり方が少しずつ変わっていきます。
まあ、その教材がかなり古いものでしたから、その時代には普通のことだったでしょうけどね。
「普通」は時代とともに変化します。
常にアップデートを望みます。
最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。
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