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単純作業の楽しさ〜草取りをやってみて感じたこと
ゴールデンウィークに実家に戻って、短期間滞在しました。
実家には両親二人が住んでいるけど、二人とも高齢です。
母親は腰を痛めているし、父は脊柱管狭窄症を患っていて歩行は困難になっています。
そのため小さい裏庭は荒れ放題、草ぼうぼうになっていました。
そこで、ひさぶりに慣れない草刈りをやってみました。
中腰になって草を刈るのは、腰にかなり負担をかける事になります。ほどほどに辛い作業です。
できるだけ膝を曲げて腰に負担をかけないように意識をしても、長時間は続きません。
適度に水分補給をするタイミングで休憩を入れながらやりました。
しかしモチベーションを維持するのも大変。
刈ったとしても、1ヶ月すればまた元のようになってしまうことを考えると気が遠くなってしまいます。
そのような調子でしたが、我慢してやっていると意外に楽しくなってきました。
身体は楽ではないけれど、それほど苦ではありません。
自分がやった結果が明確にわかるのが嬉しい。
刈ったところとがわかり、後どのくらい作業が残っているのかはっきりと示されるのが心地良いのです。
僕が仕事としてやっているリハビリの仕事も結果は現れますが、結果が出るまで時間がかかったり、相手が人であるが故、こちらが予想した結果と相手が求めているものが食い違うこともままあります。
そういう時は、しっくりきません。
それに比べて、草刈りは単純です。
4分1を刈れば、残りは後4分の3。かなりわかりやすい。
成果がはっきり現れます。
全部やればその日は終了。
単純作業といっても、工場のような流れ作業の一部に加わるのは確かに辛いものだけれど、このような成果がはっきりわかり、終わりが明確なものなら、モチベーションも保てそう。
「パーフェクトライフ」で役所広司が演じていた清掃員に心が惹かれるのも、同じ理由かもしれませんね。
ただその場合は、一見単純に見える作業の中にも小さな変化があって、それを愛でる喜び、それを感じ取れる心の豊かさを描いているので、単純にそうとは言えないのだけれどね。
拙い文章を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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