修道女になるということは?シスター・クリスティの話から

修道女になるということは?シスター・クリスティの話から

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今から20年以上前に、僕はインドでボランティアをしていました。

マザーテレサの施設です。

マザーテレサはずいぶん気さくな人で、しばしばボランティアのお茶会にも姿を見せてくれました。

それでもやはり高嶺の花

じっくり話を聞く機会は多くありませんでした。 

そんな中、シスターの中に日本人がいて、日本人ボランティア向けにお話会をしてくれるという話を聞きつけました。

その人はシスター・クリスティという名前でした。

ミッショナリー・オブ・チャリティーの中で2人目の日本人シスターとのことで、その頃ボランティアの窓口的な役割もなさっていました。

小柄ですが、相手をしっかりと見つめて話す姿は、聡明さと貫禄がありました。

それまでインド人やアフリカ人のシスターとは話をしたことはあったのですが、やはり言葉の壁があって、教会や修道会の話、シスターたちの私生活の話など詳しく聞ける機会はありませんでした。

彼女はそんな日本人に向けて、わかりやすく教会の話やマザーの話を噛み砕いて話してくれました。

もちろん下世話な話を聞けるような雰囲気ではありませんでしたが、それでもシスターたちがどのような過程を経てシスターになって行くのかなど、興味深い話がいくつか聞けました。

 

どこの修道会も同じかもしれませんが、シスターになりたいと言ってすぐになれるわけではなく、

まずは請願式があり、そこから2年間の修行が始まります。

ミッショナリー・オブ・チャリティーには「世界で最も貧しい人たちに仕える」という信念がありますが、その信念のもと、清貧・貞潔・従順の請願をします。

清貧とは財産をすべて仲間と共有し、物質から自由になるということ。

自分の持ち物は最低限のもの。

聖書、バケツ、サリーとサンダルだけ。

可愛い服を着たいって思う年頃の若者には辛いことだと想像します。

貞節とは、人々を愛するために自ら進んで独身を選び、結婚生活を放棄するということ。

従順とは、修道会の上長の中にキリストを見いだして従うこと。

従順とは、神に従うということですが、具体的には上役のシスターの言う通りにするということに等しいです。

自分の意見を殺し、上役に従うということは、自我が発達してくるティーンエイジャーには難しいというのもありそうです。

 

朝から晩まで共同生活を送りながら、学んでいきます。

そして2年間の修行期間を経てシスターになるのです。

その後に生涯をかけた請願をするということです。

 

もちろんその時点でシスターになることを諦める人もいます。

これから一生キリストのために仕えるということの重さを、改めて感じて思いとどまる人もいるでしょう。

 

修道会によって、シスターの活動は大きく異なると思いますが、ミッショナリー・オブ・チャリティーでは、シスターは積極的に教会から出て、貧しい人たちに奉仕します。

修道会が運営している様々な施設に配属され医療を施したり、食事を配給したりします。

僕はこれについて一度尋ねた事があるのですが、彼女らがやっていることは福祉ではなく、キリストのためにやっているとの返事でした。

貧しく路上で倒れている人に、キリストの姿を見るとのことでした。

 

シスターになった後も厳しい規則は更に続きます。

基本、シスターは両親や知人にも会うことはできません。

時に両親に会いたくなることもあるのでは?と質問すると、彼女はこう答えました。

「親に会いたいと思う時はあれど、それより大きなものに仕えていることで、それほど苦にはならない」と言っていました。

シスターになって後悔したことはないのか、などなど、聞きたいことはたくさんありましたが、

彼女の生涯をかけた選択を揺るがすような質問をすべきではないと、そのときは聞けませんでした。

でも、彼女の言葉使いや振る舞いから、迷いのようなものは一切感じませんでした。

 

僕はもう20年以上インドに行っていないので、彼女が今もそこにいるかどうかは分かりません。

でも、どこでも同じように、真っ直ぐに生きていらっしゃるのではないか‥と想像します。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

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