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国境について
日本は島国なので、「国境」というものがあまり身近ではなく、普段から意識することもあまりないと思いますが、
僕は昔から「国境」に特別な感情を持っています。
なにかロマンというか、憧れというか、言葉に出来ない感情です。
地球は空間は連続的に繋がっていて、人や動物の移動は制限されないはずなのに、
人間が作ったただの線、いわゆる国境によって、その移動の自由が阻害されています。
山や川、海など自然物があることで便宜的に分かれるということは、まだ感覚的にわかる気もしますが、
アフリカに引かれた直線の国境はどう見てもいびつです。
同じ民族なのに2つに分かれてしまっているケースもあるでしょう。(逆に遊牧民などは、国境を関係なく渡っているのかもしれませんが)
朝鮮半島を南北を分ける国境(38度線)も、理解の範疇を越えています。
分けることが一般庶民にとって良いとは思えませんし。
そんなことから、学生時代はあえて国境を越えるということを意識的に行ってきました。
インドからネパールは歩いて通りました。一緒にいた外国人旅行者とジャンプして飛び越えました。
タイ〜マレーシア〜インドネシアの国境は、電車に中でパストートチェックのみで、こんなに簡単なんだと気が抜けました。。
国と国の友好関係や移動する旅行者の国籍によっても、難易度が決まるみたいですね。
タイとラオスの国境
話がそれました。
今回の話は国境の是非を問うような壮大なテーマでもなく、ただ僕が昔から感じている漠然とした「国境」にまつわるお話です。
僕が好きな街にタイのノーンカーイというところがあるのですが、特になにがあるわけでもありません(失礼!)。
あるのは国境、国境を形作っているメコン川です。
ノーンカーイに行くには、バンコクから長距離バスで行くのですが、
地元タイの人々から何しにいくのかと何度も問われ、その度「国境を見に行く」と答えると、不可解な顔をされました。
国境をわざわざ見に行くなんてことは理解できない様子でした。
僕が学生だった当時は、旅行者がラオスに行くには空路しかありませんでした。
メコン川の対岸はラオスで住民たちは渡し船で行き来しているのに、何故旅行者はダメなのか、悶々としたりしていました。
行けないと思うと、更にいきたくなるのが、旅行者の常。
毎日メコン川に落ちる夕日を眺めながら想いを馳せていました。
ヴィエンチャンの建物も薄ら見えて、想像が膨らみます。
結局僕は、この街に1週間滞在し、メコン川やその対岸を眺めて過ごしました。(今思えば、優雅な過ごし方かも)
ここまで郷愁にも似た思い出を書いていましたが、ネットを見ると、なんと1994年にオーストラリアの援助でタイーラオスを結ぶ友好橋というものが出来ているではありませんか。
僕が日本で理学療法士の学校に通ったり、病院で研修を受けている間に、世界は大きく変わっていたのでした。(当たり前!)
ネットのニュースでは、ラオスからは毎月のようにタイに国際ショッピングに通うラオス人が多いというニュースも報道されていました。
もう郷愁を持って思いを馳せるなんて、そんなセンチメンタルバカもいないですよね。
ほんと恥ずかしい。
長くまとまりのない話に、お付き合いありがとうございました。
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