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「物乞いに魚を与えるのではなく、釣り道具を与えよ。」
この言葉は国際協力の場面でよく用いられる言葉です。
確か青年海外協力隊でも、標語のように使われていたと思います。
お金や食糧の援助よりも、自活できる方法を教えることが真の援助だというものです。
マザーテレサ批判にこの論理を用いて、こんな言葉を言う人がいます。
「マザーのやっていることは、意味ない。飢えている人々に食事を配ることは、彼らの労働意欲を失わせる。彼らは配給を待つようになり、自活の道を選ばない。」
言ってることは、わかります。
確かに自活の方法を学ばない限り、その状況から脱出することはできないでしょう。
マザーテレサの修道会だって、ただ単に食糧の配給を行なっているだけではありませんが、
マザーテレサほどの財力があれば、もう少し活動を拡大してほしいと思う気持ちもわかります。
それは理解できるのですが、一方でちょっとモヤモヤした感情も起きます。
どん底にいる人、何も食べるものがなく数日過ごしている人にそんなことを言っても、何の助けにもなりません。
その言葉を言った人は、本当に貧困を知っているのでしょうか。
飢えて絶望の縁にいる人には、そんな言葉は届きません。
身体を休ませる寝床が確保できて、空腹が満たされて、安心して暮らせる環境が整ってこそ、
何かを学ぼうという気持ちが湧いてくると思うのです。
そうした意味で、マザーの活動はそれなりに意味があります。
それを非難するなら、私服を肥やす政治家を非難した方が良いでしょう。
最後に一言。
前にも書いたことがありますが、マザーテレサは宗教家であって福祉活動家ではないということが根っこにはあるんですけどね。(もし興味があれば、読んでみてくださいね。→こちら)
それから、トップ画像、あまりに似てなくて申し訳ありません。
ここまで似てないと、もう笑ってしまいますね。(似せる気すら起こらなくなる)
ありがとうございました。
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