マザーテレサの宗教観「福祉を行なっているわけではありません」

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マザー・テレサの功績

マザー・テレサが行ってきたことには、医療や福祉な観点からも多大な功績があります。

路上で倒れている人を施設に連れて帰り、

医療が必要な人には薬と休める場所を、

飢えている人には、パンやミルクを差し出しています。

これで救われた人は、何千人何万人といるでしょう。

貧しい底辺にいる人にとって、

最後のセーフティ・ネットの存在はどれほど意味のあることでしょう。

 

ですが、マザーは自分の仕事を福祉とは一線を引いて、こう言っています。

 

「私の仕事は、福祉ではありません。愛を与えるものです。」

 

確かにマザーは福祉活動をしているわけではありません。

じゃあ.いったい何をしてるのかと言うと…

キリスト教の布教を行っているのです。

 

マザー・テレサの活動を宗教と捉えると

マザーに対する批判はたくさんありますが、

それを福祉の観点ではなく、宗教・布教という視点から考えると合点がいきます。

例えば、マザーテレサほどの資産があれば、

施設の患者に対してもう少しマシなことができるだろうという批判。

確かにマザーテレサの施設にいる患者の寝床は質素です。毛布も1枚です。まさに野戦病院の様相。

食事は3食あるものの、何とか栄養が取れる最小限です。

僕もこれには少し疑問を持つことがありました。

何十億の資金を注ぎ込めば、もう少し快適な場所が提供できるのにと。

 

では、これを宗教的に考えてみると合点がいきます。

マザーはよく貧困・苦しみをイエス・キリストに言及します。

イエス・キリストが飢えや苦しみを受け入れたことに言及して、

貧困を美徳のように考えている節もあるのです。

あるインタビューでこのように発しています。

「キリストの受難のように、貧しい者が苦しむ運命を受け入れるのは美しいものです。

世界は彼らの苦しみから多くのものを得ています。」

つまり、キリストのように貧困や苦しみの中から尊いものを見つけだすのだと言っています。

共感するかどうかは置いておいて、なかなか興味深い発言ですね。

マザーが貧困は美しいと言った場面を、僕もその場で実際見たことがあります。

マザーの宗教観はある意味特殊な面もありそうですが、どーなんでしょうか。

多分、良い悪いと判断するものではないかもしれませんが。

マザーの行いを宗教活動と捉えると、過去の行動、発言に妙に納得するのです。

 

最後に

今回の記事はマザーを非難しているわけではありません。

マザーテレサは宗教家であって、福祉を行っていたわけではないという当たり前の事実を書いただけです。

 

マザーは聖人扱いされていますが、僕にはそうなのか全くわかりません。

そもそも判断基準もないですし。

でも理由や背景はともかく、マザーの活動によって救われた人々が実際にいるわけですから、その功績はやはり偉大だと思います。

マザーがやったこと、その歴史的意味など、今後に検証されることだと思います。

 

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