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人は何歳まで頑張らなくてはいけないのでしょうか?
これは僕が普段理学療法士をしていて、常に考えることです。
人は高齢になり、大部分は何かしら身体の不調で入院になります。
入院すると、最近の流れとして、早期からリハビリのオーダーが出されることが一般です。
80歳代は当たり前。
90歳代でも、よほどのことがない限り、リハビリとなります。
かえって高齢の人の方が長期臥床の影響が多いですからね。
高齢でも、頑張りたい人は、頑張って貰えばいいと思います。
身体がなかなかついていかなかったとしても、
本人にやりたい希望やプランがあるのであれば、
僕はリハビリのスタッフとして、その援助を惜しみません。
出来るだけ本人の希望に沿うように、リハビリを進めていきます。
ですが、問題はそうでないケースです。
本人が望まない人に、リハのスタッフがどこまでお尻を叩けるのでしょうか。
つい先日もこんなことがありました。
ある高齢(96歳)のおじいさんが、肺炎で入院してきました。
状態は安定していないものの、
何もしないと筋力低下などの廃用を来してしまうとなるため、
リハビリのオーダーが出されました。
僕が担当になりました。
高齢であり呼吸機能を始め、全身の状態が悪化しています。
拘縮予防や体位変換、呼吸リハなどからはじめました。
そんなある日、おじいさんはこう言ってきました。
「ワシはもう十分に生きたから、もういいよ。あっちに行きたい。」
返事に困ります。
「そうですね。十分生きたと言えるのはすごいことですね。」
と肯定しながら、次の言葉を探します。
「今は身体が大変だから、そう思うかもしれないけど、少し良くなってくれば気持ちも変わるよ。少し頑張ってみようよ。」
と言うものの、なんだか言葉が空虚に響きます。
ただそっと寄り添えるようになりたいとは思うものの、こちらもサラリーマン。
実績(単位)を稼がねばなりません。
ただ見守るというわけにもいかないのです。
とりあえず軽くマッサージしたりしながら、話を聞きます。
話を聞きながら、本当にこれでいいのだろうかと自問自答することになります。
こんな光景はリハビリの場面では日常茶飯事だと思います。
皆さんはどのように対応しているのでしょうか。
何が正解なのでしょうか。
僕は個人的には、90歳を超えて本人が望まないのであれば、そんなに無理しなくても…
と思ってしまいます。
ですが今は「人生100年時代」。先は長いです。
そんな言葉を口にすると、大概の人は口を揃えて言いますけどね。
「そんなに生きたくねーよ」
ありがとうございました。
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