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僕が中学生の頃は、通称「公開処刑」なるものが行われていました。
先生が生徒をクラス全体の前で叱ることで、クラス全体に注意するやり方です。
例えば学校の規則を侵したY君を、黒板の前に立たせ、先生が一方的に叱責します。
Y君は何ができるわけはありません。
恥ずかしさと怒りで顔を真っ赤にさせて、ただただ時が過ぎるのを黙って待っています。
他の生徒は、声を上げることも出来ず、見守ることしかできません。
何か言うと、次に自分が標的になるかもしれないからです。
この方法は確かに一定の効果がありました。
間違いを犯すと同じ目にあうということを刷り込まれます。
ある種の「恐怖」によって、その空間が支配されます。
今でもこんな方法は一般的
僕の以前の職場でもそんなことがありました。
仕事のミスを皆の前で公開するのです。
算定しなくてはいけない書類を算定していないスタッフを名指しするのです。
もちろんやらなければいけないことを怠ったスタッフが悪いのですが、
そのやり方には、問題があります。
こんな時代に、まだこんなことが起こるんだと半ば呆れながらも、
背筋がゾッとしました。
「ヒヤリハット」やインシデントの報告もそうです。
インシデントを起こした当事者が、皆の前で自分のミスを公開するのです。
もちろんインシデントが起こると、その分析、共有は必要です。
全員で情報を共有した上で、スタッフから意見を出してもらうことで、
同様のインシデントの再発をある程度防ぐことが可能です。
こうした試みはあるべきです。
ただそれを提示するのは、本人である必要はありません。
僕は職場でも年寄扱いなので、自分からミスを告白することに何の躊躇もありませんが、
若いスタッフには辛いことだと思います。
自由に語れない雰囲気は、インシデントを隠す方向に進んでしまうこともあるでしょう。
出来るのであれば、医療安全の係が
そういう役割を一気に引き受けるのがいいような気がします。
インシデントを起こした本人は士長に報告し、
それを医療安全管理者が全体に周知するっていう構図が、
いいのではないでしょうか。
(詳細は本人しかわからないから、難しいかな)
まとめ
インシデントの報告は、吊し上げとは違います。
でもやり方次第で、そういった要素も含んでしまいます。
個人の責任を追求することは時に必要でも、
みんなの前でやる必要は無いと思います。
吊し上げで締め付けるような組織は、閉塞感に満ち満ちています。
息苦しい恐怖に支配された職場に未来はありません。
吊し上げはいわば、「羞恥刑」です。
本人の自尊心を下げるだけでなく、ハラスメントです。
その認識が必要でしょう。
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