〈スポンサーリンク〉
医療に携わる人にとって、大切だなぁと思う条件がいくつかありますが、
僕が特に大事だと思うことは「共感できる能力」です。
「患者の立場と自分の立場とを交換して共感できるような感性」を、
持てるかということです。
例えば、拘束されて暴れている患者さんをみて、
「もし自分だったら」と考えてみる。
自分の意思に反して急に家族から離され、
点滴を抜くと命に関わるからと言われて、手足を拘束。
腰が痛いと言っても聞いてもらえない。
ベッドから落ちると言われ、体幹も拘束。
腰痛は更に増悪。
動けないから、ベッドの上でオムツ内に排泄。
便の感触が不快だからとオムツを触ると、
オムツいじりがあると、ツナギを着せられる…。
これって現実です。
遠い国の話でもありません。
昭和の話でもないですよ。
今でも日本で実際に起こっていることです。
家族がそれについて意見をすれば、クレーマーと言われたりもする…。
怖いですね。
まあ、これは最悪なケースを書いたもので、
すべてこんなふうになっているわけではありませんが。
でも今の日本では、限られた人員で病院が回されている中、
ある意味仕方ないと思われている部分もあると思います。
医療者から見れば、患者さんの命を守るために必要なことでしょう。
重要な点滴や経管栄養の最中にルートを抜かれたら、大惨事になりますから。
ベッドから落ちて骨折でも起こしたものなら、目も当てられません。
医療従事者の中には、泣く泣くやっているという人も多いと思います。
でもこれがルーチンになると、当たり前が故に何も感じなくなってきます。
「もし自分だったら、これは嫌だろうな」
と思える感性は持ち続けたいと思います。
そうするとケアの質も絶対変わってきます。
でもよく考えてみると、
この感性って、別に医療者に限って必要なものではないはずです。
社会を形成するためには大切な概念でしょう。
考えてみてください。
スーパーのレジで、小銭を出そうとして戸惑っている高齢者が自分だったら…?
貧困に喘いで炊き出しに並んでいるあの人が、もし自分だったら…?
国を追われて難民として日本に来ているあの人が自分だったら…?
このような感性を「社会性」と呼ぶのかもしれません。
他者を自分のことのように理解しようとする気持ちが、
より良い社会、暖かい社会を作っていくために非常に重要だと思うのです。
今の日本には、一番欠けているような気がします。
ちょっと大きく出てしまいましたか‥。
少しでも共感していただけると、嬉しいです。
〈スポンサーリンク〉
お付き合いいただき、ありがとうございました。