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人を知ることで、嫌な感情は消えていくことがある
僕がいつも通っているジムに、サウナがあります。
そこで、よく顔を合わせる高齢の男性がいます。
彼はサウナの中で、ゴホゴホと咳をします。

小さなサウナ室ですから、正直なところ、あまり気持ちの良いものではありませんでした。
「またか……」と思ったこともありますし、
彼が入ってくると、足早にその場を離れたこともありました。
今思えば、咳をすること以外に特別な理由があったわけではありません。
ただ「知らない人が、密閉された空間で咳をしている」という状況に、
無意識に嫌悪感や警戒心を抱いていたのだと思います。
そんなある日、彼の方から声をかけてきました。
「こんにちは」
それだけです。

特別な会話はありません。
その後も、顔を合わせたら軽く挨拶をする程度です。
でも、不思議なことが起こりました。
彼の咳が、以前ほど気にならなくなったのです。
咳の回数が減ったわけではありません。
咳の原因や病気について聞いたわけでもありません。
環境は何一つ変わっていないのに、
自分の感じ方だけが、確実に変わっていました。
理由はおそらく単純です。
彼が「正体のわからない他人」ではなく、
挨拶を交わす、一人の人になったからです。
人は、知らないものに対して過剰に反応します。
相手の背景が見えないと、
不快や恐怖を自分の想像で補ってしまう。
でも、ほんの一言の挨拶で、
相手は「得体の知れない存在」ではなくなります。
すると、嫌だと思っていた感情が、驚くほどあっさり薄れていく。
これは本当に些細な出来事です。
でも、「人を知ること」の力を強く感じた体験でした。

似たような構図は、世の中にたくさんあります。
たとえば、コンビニの前にたむろする外国人を見て、
SNSで「怖い」「やめてほしい」と非難する声があります。
でも、そうした言葉の多くは、
その人たちのことを何も知らないところから発せられているように思います。
どんな人たちなのか。
なぜそこにいるのか。
どんな生活をしているのか。
何一つ知らないまま、
「外国人」「集団」「なんとなく怖い」というイメージだけで語ってしまう。
もし、ほんの少しでも言葉を交わしたことがあったら。
もし、顔と声を知っていたら。
あれほど露骨な非難や罵倒は、きっとできないはずです。(下のイラストのようにコンビニのドアの真ん前に座るのは迷惑ですが)

人を知ることは、
必ずしも好きになることでも、理解しきることでもありません。
ただ、雑な嫌悪や恐怖が成立しなくなる。
それだけで、社会の空気は少し柔らぐのだと思います。
サウナでの挨拶は、ほんの一言でした。
でも、その一言が、自分の中の棘を抜いてくれました。
分かり合おうと力まなくてもいい。
大きな理想を語らなくてもいい。
ただ、相手を「人」として見るきっかけがあれば、
感情は静かに変わっていくことがある。
そんなことを、あのサウナで学びました。
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