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歳を重ねて、旅に出る意味をもう一度考える
──若い頃のように心が動かなくなった自分と向き合う
若い頃にバックパックを背負って世界を旅した経験がある方は多いと思います。
僕もそうでした。
知らない景色や言葉、匂いにふれ、心が大きく揺さぶられたあの頃。
自分の知らない世界が無限に広がっているように感じたものです。
しかし、50代後半から60代に近づくにつれ、以前と同じようには心が動かなくなることがあります。
旅行番組やネットで海外の絶景を見ても、あの頃のような高揚感がなかなか湧いてこない。
「わざわざ大金をかけて海外に行く意味があるのだろうか」「老後の資金も貯めたいし‥」
そんな気持ちが自然とよぎってしまいます。
もし同年代の方であれば、この感覚にうなずける方もいるのではないでしょうか。
でもこれは決して“気力の衰え”だけではありません。
長く人生を歩いてきたからこそ起こる、心の変化でもあります。
では、そんな今の私たちにとって、「海外に行く意味」とは何なのでしょうか。
改めて丁寧に考えてみたいと思います。

■ 映像では決して得られない“その土地の空気”
現代では、海外の絶景も文化も、家にいながら簡単に見ることができます。
しかし、どれだけ映像技術が進んでも、現地でしか味わえないものが確かに存在します。
それは何でしょうか。
● 降り立った瞬間の「空気の匂い」
空港の扉が開くと、湿度、温度、街の音、土や風の匂いが一気に体を包み込みます。
これらは画面越しでは絶対に再現できません。
人は視覚よりも、嗅覚・触覚・聴覚といった“身体のセンサー”で
「自分はいま異国にいる」と実感します。
この五感で受け取る情報こそ、旅の最も深い刺激になるのです。
● その土地に生きる人々の“生活の温度”
同じ景色でも、実際に歩いてみるとまったく印象が違います。
市場の雑踏、屋台から上がる煙、現地の人の歩く速さ、子どもの笑い声。
その土地に根づく生活の“体温”は、足を運ばないと感じ取れません。
「ここでは、こういう速度で人が生きているんだ」
と実感することが、旅の大きな意味のひとつだと思います。
■ 年齢を重ねた今だからこそ、旅が持つ役割が変わる
若い頃の旅は、自分の外側にある世界を広げるためのものでした。
何もかもが新しく、驚きに満ちていました。
しかし還暦が近づく今、旅の役割は大きく変わっていきます。
例えばこんなことが考えられます。
● 固まりつつある価値観を、やわらかく揺らす
長く生きるほど、価値観や考え方は自然と固まっていきます。
良い・悪いではなく、それだけ経験を積んだ証でもあります。
しかし海外という異文化は、そんな固まりかけた価値観に
ほんの少し“ひび”を入れてくれます。
それは派手な刺激ではなく、静かで穏やかな揺らぎです。
大人になったからこそ、その揺らぎが心に深く染み込んでいきます。
● 若い頃の自分との“対話”が生まれる
かつて旅先で感じたことや、心が震えた瞬間。
今の自分で同じ場所に立つと、それがまったく違った表情を見せます。
「昔の自分は、こんな風に世界を見ていたな」
「今の自分は、こういうところに心が動くんだな」
旅は、人生をそっと振り返る“棚卸し”にもなります。
若かった頃の自分と今の自分が対話するような、不思議で静かな時間です。
● 日常では起こらない“偶然”が心を動かす
生活が整い、予定どおりに過ぎていくことが増えるのは、年齢を重ねた証です。
安全で快適ですが、反面、心が動くような偶然の出来事が減っていきます。
旅に出ると、必ず小さなハプニングが起こります。
道に迷う、親切にされる、ふと入った店が忘れられない場所になる──
こうした偶然は、日常ではなかなか起こりません。
人生の後半になるほど、こうした偶然は心に新しい風を入れてくれます。
■ 「心が動かなくなった」のではなく、「心の動き方が変わった」だけ
若い頃のような火花のような刺激は、たしかに減っていきます。
しかしそれは、感性が鈍ったからではありません。
感動の種類が静かに変化しただけなのです。
若い頃の旅は火花のように瞬間的で強い輝きがありました。
今の旅は、余韻のようにじんわりと心に染みていくものです。
どちらも人生に必要な、大切な感動の形です。

■ いま旅に出る意味とは
では、還暦に近い今、海外へ行く意味とは何でしょうか。
それは、
「今の自分がどんなふうに変わってきたのかを確かめるため」
だと思います。
旅は、風景を見る行為ではなく、
その風景を見つめる“自分自身”と出会う時間です。
若い頃の旅と同じ感動を求める必要はありません。
むしろ、変わった自分にふさわしい、新しい旅の形があるはずです。
「いまの自分がどんな風を感じるのだろう」
そんな気持ちで歩きはじめれば、きっとまた違う景色が心に残ると思います。
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