「自立」という言葉の呪い

「自立」という言葉の呪い

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「自立」という言葉の呪い

私たちはしばしば「自立」という言葉の呪いに取り憑かれているのではないでしょうか。

リハビリの目標設定でも、「トイレ動作自立」「歩行自立」といった表現をよく使います。

つまり「人の手を借りずに、すべて自分でできること」。これはいわば狭義の自立です。

リハ職としてそこを目指すのは自然なことかもしれません。

しかし、実際の臨床ではそのゴールに到達できない人も数多くいます。

障害の程度や病状の進行により、どうしても「一人でできる」レベルには至らない。

では、その方々は自立できないまま、社会復帰や在宅生活を諦めなければならないのでしょうか。

私はそうは思いません。

自立とは本来、「自分の意思で決め、自分らしく生きること」を意味するはずです。

介助や支援を受けながらでも、自分で選び、自分で望む暮らしを築けるなら、それは立派な自立です。

むしろ「誰の助けも借りずに動作ができる」ことよりも、「自分の人生を自分の意思で形づくる」ことの方が、はるかに本質的な自立ではないでしょうか。

例えば歩くことが難しく、車いすを使って移動する方が「自宅で家族と暮らしたい」と望むなら、その環境を整え、サポートするのが私たちの役割です。

入浴や排泄に介助が必要でも、自分で「今日はお風呂に入りたい」と言う人がいたとして、訪問入浴やサービスを利用して入浴が可能になるのなら、それは尊重されるべき自立です。

リハビリの仕事は「動作の自立」だけをゴールにするのではなく、その人らしい「広義の自立」を支えることにこそ意味があるのだと思います。

 

まとめ

今までのことをまとめると・・・

•自立には「狭義」と「広義」がある

•狭義=人の手を借りずにできること

•広義=支援を受けながらも自分の意思で生きること

•リハ職の役割は、その人にとっての「真の自立」を共に考え、支えること

 

こうした視点を持つと、「自立」という言葉に縛られず、もっと柔軟に患者さんやご家族と向き合えるように感じます。

 

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

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