1992年インドの宗教対立で夜間外出禁止令が出たときの話

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僕がインド、カルカッタ(現コルカタ)で生活をしていた頃の話。

ご存知の通り、インドは多民族、多宗教国家であり、様々な背景を持った人々が何とか折り合いをつけながら暮らしています。

当時、僕が宿を借りていた所はイスラム教徒のエリアでしたが、ヒンズー教徒が多く暮らしているエリアと隣り合っていました。

イスラム教徒が住んでいるエリアは決して裕福な場所と言えず、近くのビハール州がら出稼ぎに来ている人も多く住んでいました。

狭い部屋に何人もの男たちが、雑魚寝をしていました。

ヒンズー教にはカースト制度という身分制度(それが職業と深く結びついている)があり、その格差に苦しんでいる人も多くいます。

ヒンズー教徒の中には、職業に紐付いた階級に縛られるヒンズー教から逃れるためにイスラム教に改宗した人も多かったと聞いたことがあります。

そのイスラム地区でも、ヒンズー教徒が改宗してイスラム教徒となり、ビハールなど地方からやってきた人が多いと聞きました。

イスラム地区では夕方になればアザーンというお祈りの呼びかけが街中に響き渡り、異国情緒を感じさせてくれました。

その辺りは牛肉を食べさせてくれる食堂があることも、ヒンズー教のエリアと大きく異なることでした。

 

そんな中、インドのアイオデアという地域で大きな問題が勃発しました。1992年の出来事です。

そこにはスラム教徒の寺院(モスク)があったのですが、ヒンズー教の聖地と主張するヒンズー教の暴徒が寺院を破壊したのです。

その後に両者の対立は激しくなり、何十人も人が生きたまま焼き殺されたり、商店略奪が起こりました。

僕が住んでカルカッタでも夜間外出禁止令が発動されました。

宿の主人はできるだけ外出しないように警告しましたが、食料を買うためには市場に行かなくてはなりません。

とりあえず宿の外に出他ものの、銃を持った警官が幾人も立っているのが見えます。

ヒヤヒヤしながら側を歩きました。

そのとき、警官は近くを歩く僕たちに手を挙げるように促してきました。

「武器を待っていません」という意思表示。手を挙げる動作は、無抵抗を意味するものだと思います。

結局それ以上のことは無かったですが、背筋がぞーと寒くなるような怖い体験でした。

 

それは本当に怖い体験だったのですが、僕がそのことより怖いと感じたのはイスラム教徒の友人の変わり様でした。

それまで映画や俳優のたわいない話に花を咲かせていた友人たちでしたが、それ以降、人が変わったようにヒンズー教徒を攻撃、批判し始めました。

一見宗教の区別なく仲良く暮らしていたように見えていた人たちが、突然手のひらを返したように非難し始めたのです。

ただ個人としてお互いを憎み合っているわけではないのに、人をカテゴライズして、一色たんにして決めつけてしまう怖さを肌で感じました。

 

日々鬱々と感じたものが、あるきっかけで爆発してしまうことがあります。

今回もいろいろな不満が、その出来事を契機に噴出したのかもしれません。

 

ハッキリしたことは分かりませんが。

 

つたいな文章を最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。

 

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