〈スポンサーリンク〉
入院している時に感じた高次脳機能障害の影響
高次脳機能障害になって、いわゆる「場の空気が読めなくなる」という状態になりました。
医学用語で言うと、社会的行動障害というものでしょうか。
社会的行動障害とは、「場面ごとにわき起こってくる情動に反応すれば将来的に最も自分に利益をもたらす結果になるのか、過去の記憶や知識に照らし合わせながら、冷静に判断する神経機構の障害」です。
何やら難しそうですね。
例えば、本人が相手から理不尽なことをされたと仮定します。
倫理的には相手の行動は明らかに理不尽であり、抗議することは間違っていないと思われることでもあっても、状況によっては分別がない行動とみなされることが起こりえます。
理不尽と思われることだったとしても、相手が上司や取引先人だったりしたら、そこは我慢して、じっと堪えるのが常識というものでしょう。
それが良いかどうかは置いておいて、それが正しい社会的行動なのでしょう。(異論があるのはわかります)
でも自分高次脳機能障害を患ってみると、これって果たして良いことなのだろうかと悩みます。
倫理的な正義と思われる行動と社会通念的な行動の間で迷ってしまいます。
難しい問題ですね。
こんなことがありました
具体例を示します。
僕が最初に入院した時のことです。
4人部屋で、僕のベッドの正面になった人は、高齢の認知症も患った患者さんでした。
彼は嚥下機能に問題があって、食事の際にいつもムセていました。
難聴もありいつもぼんやりしていましたが、スタッフから話かけらると陽気に笑顔で応答するためスタッフからも愛されていました。
食事中もスタッフと共にお喋りに興じていました。
まあ、当然ムセます。
それでもスタッフは、介助のスピードを調整して何とか食べさせていました。
僕はその時、つい要らない助言をしてしまいました。
『食べる時は話しかけないで、食べることに集中させてあげた方がいいんじゃないですか』
当然その場の空気は凍り、介助者の手が止まりました。
『そうですね。』と返してくれたものの、介助者の目は笑っていませんでした。
スタッフの気分を害したのは明らかでした。
僕のとった行動が大きく間違っていたとは思いませんが、真正面から正論(らしいこと)を言うのは良くなかったかもしれません。
その後、僕はリハビリのために他院に移ることになったので、どうなったかはわかりません。
転院した先でも同様なことが‥
転院した先でも、似たような場面に遭遇しました。
高齢で認知症がある患者さんに、スタッフが話しかけながら食事を介助をしていました。
けれどその時は波風を立てることを避けて、ただ黙って見守ることにしました。
第一僕はその患者のことを詳細に知っているわけではないし、前例があったのでそうすることにしました。
また僕は「一患者」であり、一患者が他の患者のことを意見することは、「社会規範上(?)」好まないと考えました。
いろいろな思いが交錯しましたが、直接肺炎を誘発して命の関わるほどのムセでないなら、見過ごした方が良いと。
こういうことが「社会性」というものだろうと考えました。
じゃあ、何が正解なのか、どうしたら良かったのか?
社会で上手くやっていくためには、正論のようなものをを押し付けるのではなく、全体が和やかに進む方が良いという場面は大いにあると思います。
その時どう行動したら良いか。悩むところです。
高次脳機能障害になると、発達障害の方と同じように、そのような判断が特に難しくなるのです。
物事の見通しや複雑さを捉えることが困難で、表面的な判断をしてしまうことが往々にあります。
たとえそれが正しいと思っても、ストレートに表すことを避けて黙る方が良いか。
そのような行動は、人としてはずるい気もします。
人としてのずるさ、いやらしさと社会的行動は紙一重。
ある意味、損得勘定に基づいて行動したともいえます。
一体、どうした方がよかったのでしょうか。
なかなか答えは出ません。
今でもいつも悩んでいます。(まるで中2病みたい)
最後まで読んで下さって、ありがとうございました。
〈スポンサーリンク〉