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何度も述べていますが、僕は若い頃、インドのカルカッタ(現コルカタ)でボランティアをしていました。
プレムダンというマザーテレサの一施設です。
そこには世界各国からボランティアが来ていました。
総じて世界旅行の途中で立ち寄ったバックパッカーの若者が多かった印象ですが、
仕事をリタイアして、第二の人生を歩もうという高齢の方も多くいました。
国は、アメリカ、オーストラリア、ヨーロッパ、日本を含めたアジア(当時は韓国は個人旅行が解禁になりポツポツと増え始め、中国に至っては全く個人旅行者はいいない状況)と、さまざまでした。
仕事の合間のお茶の時間になると、各国の言葉が飛び交い、それは賑やかな光景でした。
僕も滞在が長くなってくると、日本人ボランティアだけでなく、その他の国の何人かと仲良くなりました。
今回は、僕がそこで感じた各国のボランティアについての感想を書いてみたいと思います。
あまりにステレオタイプ的なことを書くのもどうかと思うのですが、その働き方には、人種的・文化的な特徴があるように思えました。(この時点で、まさにステレオタイプまっしぐら)
人種というより、その国の生活習慣などに影響されるのだと思います。(その当時はそう思ってた)
ボランティアの仕事内容
その前にプレムダンでのボランティアの仕事を簡単に説明しておきます。
朝は全員で掃除をすることから始まります。
ベッドを移動して、水を撒き、ほうきでゴミを集めます。
そして消毒液を撒き乾燥させます。その後は2人組になって、ベットメイキング。
その後は洗濯。洗濯物を釜で茹で、それを棍棒で叩き汚れを落とします。
屋上に上がって洗濯物を干す作業は気持ちのいいものです。
その後はご飯の配膳ですが、ご飯が始まるまでは、入居している人の髭を剃ったり、マッサージしたりという和やかな時間があります。
僕はこの時間が一番好きでした。
食事の後は食器を洗って、終了です。
各国のボランティアの特徴
さて各国のボランティアの特徴ですが、
多くのドイツ人と日本人は、よく働く印象でした。
勤勉なお国柄なんでしょうか。集団で働くのが得意なんですね。
他の人の動きを見て、自分がどう動くかを考えたり、その都度リーダーにやることを聞いたりして統率が取れている感じを受けました。
掃除一つをとっても、誰に命令されるわけでもなく、ベッドを片付ける人、ほうきで床を履く人、バケツで水を流す人と役割分担ができていました。
これと比較して、フランス、イギリス人は個人主義。
本人がやりたいことをやる。患者とずっと話していたり、マッサージしたり。
まぁボランティアなんだから、誰からも強制されるものではないということを考えると、ある意味正しい気もします。
でも他の人が掃除と格闘している傍らで、いち早く患者と談笑をしていたりするのを見ると、モヤモヤしてしまうんですね。
個人主義は徹底しているんでしょうが、半ば呆れてしまいます。
そう思ってしまう自分もコテコテの集団主義の日本人なのかもしれませんが。
イタリア人、スペイン人は人柄が柔らかい人が多かったような気がします。
大らかで細かいことは気にしないという感じです。
ジョークを言って周りを和ませたりしていました。
同じジョークを言うにしても、シニカルなイギリス人とは異なっていました。
ステレオタイプの反省
ここまで書いて改めて気がつくのですが、ずいぶんステレオタイプなイメージですよね。
これは僕が彼らと一緒に働いていた中で、彼らの行動を観察して当時感じたことです。
限られた人数をみて感じた、あくまで個人的な考えだから…と前提の上で書いたつもりですが、一般化、単純化しています。
まさに「バイアスだ」と非難されるべきレベルです。怖い怖い。
偏見や差別は、こうした一見たわいのないことから発生するものかもしれません。
『〇〇人は〇〇だ』という考えは、全くの偏見であることは冷静に考えると直ぐにわかります。
日本だけ見ても、右から左まで、こんなに幅の広い人たちで構成されているのだから、
『日本人は〇〇だ』と意見が成り立たないことは明白です。
例えば『日本人は勤勉だ』とよく言いますが、僕は明らかに違いますからね。
人はものごとをあるカテゴリーに当てはめて安心したいという傾向があると思います。
でも一旦カテゴリーに当てはめてしまうと、それを覆えがすことは簡単ではありません。
カテゴリーに当てはめる前に、個人の資質を見ることが大切なんだと思います。
この記事は、僕が20代だった時の日記や記憶を元に書いたのですが、今見るとさすがに恥ずかしくなりますね。
でも、反省を込めておおっぴらにするは、それなりに意味があると思ってアップしてみました。
不愉快に思われた方がいらっしゃたら、ごめんなさい。
お付き合いありがとうございました。
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