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若い人に、昔マザーテレサに会ったことがあると言うと、大概の人はびっくりします。
「あのマザーテレサですか?」と目を丸くします。
マザーテレサは神様みたいな存在らしいです。
超有名人なので、アメリカの大統領に会った位、いやそれ以上の驚きを感じるのかもしれません。
でも彼女が存命していた当時は、誰でも簡単に会うことができました。
それだけカジュアルな人でした。
もちろん忙しい方なので、日程が合えば…、ですが。
毎朝行われていたミサに参加すれば、その片隅にいつも居ました。
ミサの後のお茶会に現れたりもしましたし、普通に雑談に興じることもありました。
庶民的な人でした。
ノーベル賞を受賞してから彼女を特別視する動きは進みましたが、
彼女自身は神格化されることを望んでいなかったようにも見えました。
僕たちが働いていた施設にも、時々訪ねてきました。
マザーテレサが来る日は朝からシスターたちがはしゃいでいました。
普段しかめっ面しかしないシスターもその日ばかりはニコニコしてるので、それほど彼女は愛されているんだなあと思ったものです。
マザーは自由な人でした。驚かせることが好きで、突然予定を変えて施設を訪問することもありました。
でも晩年は持病もあって、思うような活動はできなかったんだと思います。
入退院を繰り返すことも多くなり、先進国で心臓の手術を受けたこともありました。
このようなことを受けて、非難も浴びたことがありました。
普段貧しい人たちには十分な医療を与えず、自分は高度な医療にあやかっているという非難です。
でもマザー自身はそんなことを望んではいなかったんじゃないかと想像しています。
周囲の取り巻きたちがマザーが亡くなることをなんとしても阻止したいという気持ちが強すぎて、ああなったんではないかと想像します。
2007年に出版された『Come Be My Light』という本に の中にマザー自身が懺悔聴聞司祭に送った手紙が公開されています。
そこには神の存在を疑う姿や深い孤独や失望感を抱えていた姿が垣間見られます。
僕はマザーのことを、世間一般に言われているような神の啓示を受けた選ばれし孤高のひとという印象は持っていなかったので、
マザーも悩みを抱える一般のひとだったんだなぁと、改めて思った次第です。
もちろんだからといって尊敬の気持ちが少なくなるわけでもなく、さらに気持ちは高まりました。
何かと神格化される人ですが、マザー自身は普通の人です。
マザーの晩年の話は、いづれ書きたいと思っています。
ありがとうございました。
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