〈スポンサーリンク〉
唐突ですが、
同じ趣味を持っている、同じ事柄に関心を持っているなど、
共通項があれば、人は急に親しくなったりします。
確かに同じ話題で盛り上がることができれば楽しいですし、
おのずとまた会おうという気持ちにもなります。
ですが、人が長く付き合っていられる条件は、
そんな表面的なことではなく、
「共通の感覚を持っていること」
じゃないかな~と最近になって思います。
その中でも「これをやったら恥ずかしい」という
いわば恥の感覚を共有できることが
長続きの秘訣じゃあないかと思うのです。
例えば、僕の場合、
新しい言葉を使うことに恥ずかしさを感じます。
時代が平成から令和に変わった時、
令和という言葉を使うことに、ちょっとした躊躇がありました。
職場で真っ先に令和という言葉を使っている人を見て、
漠然と「こういうことは僕には出来ないな。」と違和感のようなものを感じました。
(今なら慣れましたから、使えますよ。もちろん^^。新しい言葉をすぐに使える感覚が違うと言いたかったのです。)
最近では「ワンチーム」。
僕はラグビー好きなので、
チームとしてこの言葉を選んで使ったことに対して、なんの反感もありません。
ですが、それをラグビー以外の場面で臆面もなく使うことに関しては、
すごく恥ずかしさを感じます。
「日本はワンチームで頑張るぞ」
と鼓舞する政治家は端から信用しませんが、
一般の場面で使う社長などを見ると、うんざりします。
また、「イケメン」という言葉は今では市民権を得ていますが、
最初の頃は、どーしても使えなかったし、
簡単に使ってしまう人も苦手でした。
そもそも「イケる」という言葉も抵抗がありました。
ニックネームを気軽に使うことことにも抵抗があります。
昔、谷亮子さん(結婚前は田村亮子さん)が柔ちゃんと言われていたことがありました。
その頃に流行った柔道漫画から来ているものでしたが、
僕はどーしても「柔ちゃん」と呼ぶことはできませんでした。
すごく恥ずかしく感じるのです。
でも世の中には、恥ずかしげもなくヘーキで使える人も存在するのですよね。
見えない壁が立ちはだかるのを感じます。
また、服装に関しても、恥の感覚はありそうです。
昔読んだ週刊誌のコラムで、ある女性コラムニストがある女性政治家のことを話題にして、
「あのピンク色のスーツを着る感覚が分からない。恥ずかしい。」
というようなことを言っていました。
僕はその政治家もそのコラムニストの方も、どちらの人も好きなのですが、
政治的スタンスは別として、確かに2人は合わないだろうと思ったのでした。
こういう言葉の感覚・恥の感覚は、生まれ持ったものもあるのかもしれませんが、
案外人と人をくっつけたり隔てたりする、大きな要因なのかもしれませんね。
わかりづらいからこそ、ややこしい…
でも大事なことのようです。
つまらない雑感にお付き合いいただき、ありがとうございました。
〈スポンサーリンク〉