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「貧しいことは美しいことです。」
これはマザーテレサが、生前よく口にした言葉です。
最初、この言葉の意味をよく理解できませんでした。
なんで貧しいことが美しいんだろう。
正直なところ、貧しさの外側にいる人の戯言にしか聞こえませんでした。
本当に明日のご飯もままならない人に向かって
こんな言葉を投げかけることは絶対にできませんし。
でも実際マザーにお会いして、その人柄に触れた今は、
別な考えも生まれてきました。
いろいろなものを削ぎ落とした先に、
人間が本当に必要な愛というものを感じ取れるということなのかなと。
マザーはこんな話をよくしていました。
貧しいキリスト教徒のカップルの話です。
他のシスターから同様の話を聞いたことがあるので、
多分本当の出来事なんだろうと思います。
話を簡単にまとめると、こんな感じです。
あるキリスト教徒のカップルが自分たちの結婚資金を貯めるため、
身を粉にして働いていました。
そして苦労の末十分な資金を貯め、いよいよ結婚式という段階になって、
彼らはマザーのもとに現れて、こう言ったそうです。
「私たちは十分に幸せだから、その幸せを他の人たちと分かち合いたい」
そして全額を寄付したというです。
うーん。
なかなかできるもんじゃありませんね。
この話の他にも、貧しくも支え合う家族の話をしてくれたことがあります。
かえってお金に余裕がある人より、貧しさに苦しんでいる人の方が、
同じ境遇の人の苦しみがわかるのでしょうか。
「貧しいことは美しい」という意味は、このようなことなんだろうと思います。
確かに豊かになることは必要なことですが、
その過程で大切なものを忘れることがあるのかもしれませんね。
心に留めておきたいことです。
この話は、「美しい」カタチでまとめようかとも思ったのですが、
それで終わるには片手落ちな気もするので、少しだけ付け加えておきます。
貧しい人は、逆に貧しいからこそ、助け合わなければ生きていけないという、
厳しい現実があると思います。
生きるために、助け合うことが必要なのです。
美しい話だけでなく、厳しい現実社会のことも忘れないようにしたいと思います。
ありがとうございました。
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