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ボランティアは無償行為?
昔からボランティアに対して、
巷では「自分を犠牲にして捧げる」っていうイメージがあるような気がします。
僕自身もいわゆるボランティアの経験がありますが、
個人的な考えとは別に、
周囲から「偉いですね」とか「感心」と言われることも、たまにあります。
面接などでボランティアが評価されるのも、そんな面があるのでしょう。
それは暗黙にボランティアは無償であり、
自分の時間と身体を捧げて奉仕する意味で捉えている人も多いからだと思います。
日本語に置き換えると、ボランティアは「奉仕」なのかもしれません。
でも、もともとのボランティアの意味はボランタリー、
つまり「自発的」っていう意味で、
それが無償でも有償でもいいわけです。
僕自身ボランティアをやってたことを、日本の知り合いなどに話すと、
いい人に見られたりするといった恩恵を感じたりもします。
僕をよく知っている人は、そんなことは真っ赤なウソだということが分かると思いますが(笑)。
くすぐったい感じもするので、その都度訂正したりしていましたが、
そのうち面倒臭くなって、好きに思ってくれって感じになります。
ボランティアは偽善?
反面、逆に偽善者とみられることも少なからずあります。
「良い子ぶって」と言われることもありますね。
確かに、自分の時間を他人のために使うことで、
自己陶酔している人もいるような気がします。
陶酔しているだけなら、放っておけばいいですが、
「俺はこれだけやってるんだから認められて当然だ」という
承認欲求の高い方も一定数いるような気もします。
同じ職場にいると、ちょっと厄介です。
また、偽善者と思われがちな背景として、
一部の芸能人とか政治家がイメージアップのためにボランティアを利用している現状があります。
何人かの顔が思い浮かびますね。
でも年末の炊き出しや動物保護などに参加している芸能人や政治家の大部分は、
彼らが持っている影響力を使って、
社会正義を実現しようとしている人たちだと思います。
いろんな理由はともかく、
それが偽善であっても、
それで少しでも救われる人がいるのであればいいのではないでしょうか。
もっと自然になればいいのに…
ダラダラとくだらない話を書きましたが、
僕自身はボランティアの本当の意味に立ち返って、
仰々しくならないで気軽にボランティアに参加できる空気になればいいなぁ‥
って思ってます。
偽善者って言われても、まぁ聞き流しておけばいいんじゃあないでしょうか。
要は結果が全てです。
自分が良いと思える世界の実現のために、少しでも関われたらいいですね。
ありがとうございました。
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