捨銭(バクシーシ)の対応

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僕がインドにいた時の話。

日本とは180度異なる生活習慣の中で戸惑いも多く、

様々な場面で対応に困ることはありました。

しかし時間の経過とともに、大概のことには慣れていきました。

毎日のカレーも、手でご飯を食べるのも慣れました。

トイレットペーパーを使わない生活にも違和感を感じなくなったし

(水を汲んで手で洗ってたんですよ^_^)、

時間を守らない「インド時間」というものにも適応できました

(ある種、あきらめともいう^_^)。

 

しかし、その中でも、物乞いの人への対応はなかなか慣れることができませんでした。

どう対応して良いか分からず、逃げるようにその場を離れたこともありました。

足を切断したであろう老人など、他の生活手段を持たないと思われる人には、

ささやかながら、小銭を渡したり、

また赤ん坊を抱いた母親が、空の哺乳瓶を見せながら手を合わせたりされると

心はぐらつき、ミルク代程度のお金を渡したりしていました。

ですが、その当時は物乞いの数はあまりに多く、毎回渡すわけにもいきません。

いくら旅行者といえど、

それほどのお金を持ち合わせているわけでもないですからね。

長期になってくると、自分の生活も切り詰めなくてはならなくなります。

また、1人に与えることが誘水になって、

たくさんの物乞いの人にとり囲まれてしまうのも困ります。

それで、困惑している外国人旅行者もたくさん見ました。

 

僕のこころの中で、なかなか折り合いがつけられなかった理由は、

一方的にお金を与える行為が、いいことだとも思っていなかったということもあります。

お金はその場限りのもの。持続性がある対応でもありませんし。

またそういった行為に慣れていないため、恥ずかしいような気持ちも同時に感じていました。

お金で解決していると見られることにも抵抗がありました。(若かったですから)

 

しかし、しばらくして周りを観察する余裕が生まれる頃になると、

現地の人がどのように対応しているかが分かってきました。

裕福な人はもちろん、

一見生活に余裕がないように見える人も、スマートに渡しています。

持っている者が、持っていない者に捨銭する事は当たり前のことであるようです。

ヒンズー教では、捨銭することで徳を積むという意味合いもあるのだと

聞いたこともあります。

特別なことではなくごくごく自然に行なっています。

また受け取る方も、決して卑下することもなく、当たり前に貰っています。

それに、毎日物乞いの人と顔を合わせていると、

職業としてのプロフェッショナリズムみたいなものがあることもわかってきます。

前述の女性は、自分の赤ん坊を抱いているのでなはなくて、

どこからか赤ちゃんを借りているらしいこと。

さっきまで楽しそうに笑っていたのに、旅行者が近づくと、急に悲惨な表情になること、

さまざまなたくましさを備えた人たちであることもわかってきます。

単純に与えられる側に立っているのではないことも理解できました。

 

 

僕もその後インドで生活をするようになって、

捨銭という行為を自然にできるようにはなりました。

それは現地の定着度に比例しているように思えます。

旅慣れた旅行者は、実にスマートに対応してますしね。

でも、だからと言って、現状を良しとしているわけではありません。

アウトカーストに生まれ、物乞いしかできない現状は、

変えなければいけないとは思っています。

誤解なきように。

 

まとまりのない文章にお付き合いいただき、ありがとうございました。

 

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