世界中に知り合いが増えるということ

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世界中に知り合いが増えるということ

僕は20代の学生の頃、バックパックを背負ってアジアを旅していました。

平日は授業そっちのけでバイトをして、

長期の休みには海外へという生活を4年間続けました。

小田実さん沢木耕太郎さんに憧れ、

「深夜特急」はバイブル的な存在で、

ちょっと心酔してしまっている、痛い若者だったかもしれません。

 

一番最初に行ったのは韓国

大学が西日本にあったため、下関から出る関釜フェリーは便利な乗り物でした。

下関でビザを申請して、その日のうちに発行。

そのまま船に乗り込み次の日の朝に釜山に到着。

その頃は個人で貿易をしている韓国のおばちゃん達がたくさん乗っていて、僕もウイスキーの輸送を頼まれたこともあります。(個人でのウイスキーの持ち込みに制限がありましたから)

地理的に近い国で文化も似ているところもありながら、相違点も多く、

非常に勉強になりました。

 

次の休みに 行ったのは中国

この時も船旅。

学生なので、お金は無くても時間はありました。

神戸から2泊3日かけて上海に着きました。

その時は台風が来ていたため揺れた上、かなり遅れました。

今でこそ大都会の上海ですが、その当時は古い街並が残っていて、異国情緒たっぷりでした。

 

その次はタイインドと、どんどん守備範囲が拡大していきました。

パスポートにハンコが押されていくのは楽しかったし、

何よりも、本や映像でしか知らなかった外の世界がグンと自分に近づいて来て、

まさに世界が狭くなるのも感じました。

若くて脳みそが柔らかった時期に海外に出られたのは、

いろんなことを素直に吸収できたという意味で、本当に幸運でした。

これらの海外での経験が何よりも良かったとおもえるのは、

今まで国単位で漠然と感じていた印象が、個人の単位に落とし込まれて、

身近に感じることになれたことです。

これまでは遠い国の、自分とかけ離れた人々のニュースが、

自分の身近な人の話に変わりました。

 

フィリピン北部での地震のときは、

山岳で棚田を作っていたお爺さんの顔が浮かびました。

インドネシアの津波の時も、出会った人々の顔が思い出されて、

自分のことのように心を痛めました。

 

僕が日本人一般を語ることはおこがましいですが、

そういうところが今の日本人には足りないのではないでしょうか。

福島の地震の被害と外国の出来事を同じように感じられ、支援ができるのか。

今のところNOでしょう。

これができれば、世界もすこしだけまとまっていくのではないでしょうか。

 

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